6月15日(火)早朝には降らなかった雨が午前中から降り始め、続いています。
※6月14日以前の日記は、前ページに掲載
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《2010.6.15〜18》
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雨が降る前に大泉緑地に出かけました。今日はいつもと逆の右回りで歩き、加呂登池にかかる橋まで来ると、池をのぞき込んでいる人やカメラを構える人を見かけました。レンズの先は、カルガモの親子です。
事務所に戻って、このところずっと気になっていたホームページの更新作業。トップページを変え、「議員活動報告45」と「議会速報」をアップロードしました。午後から登庁して、市教委や議会事務局、さらに,
最終本会議に上程される意見書の提案会派などとも協議。政権党が変わると、「旧木原与党会派」の間にも意見の相違が表面化するようになりました。
6月16日(水)朝は路面が濡れていましたが、天気はよくなって“梅雨の晴れ間”…
1970年代、堺・泉北コンビナートによる大気汚染公害が堺市民を苦しめていました。そんな折、「公害発生源労働者の告発」を掲げ、住民の反公害運動と連帯する労働運動がありました。会社からの分裂工作を受けながらも解雇撤回闘争を闘い抜き、息の長い闘いをしてきた「全石油ゼネラル石油労働組合」(ゼネ石労組)の組合員は、不屈の正義感と温かい人間味に溢れた方ばかりでした。初当選のころ、たった一人で議会に切り込んだ私への支援を“組織決定”し、選挙や街頭活動では力強い応援をもらいました。当時の組合員はすでに定年退職しているのですが、そのお一人「Wさんが逝去された」との連絡を受け、今日の葬儀に参列させていただきました。退職後も住民運動や社会運動に身を置いてきたWさんは、数日前には集会でマイクを握っていたのに、入院してすぐに亡くなられたとか。何年ぶりかで、何人もの懐かしい方々とお会いできましたが、私よりも2歳若いWさんの急死はまことに残念です。
6月17日(木)“梅雨の晴れ間”どころか「真夏日」。さすがに半袖シャツに衣替えしました。
明日閉会となる議会日程が落ち着き、街頭活動スケジュールも終わってから、朝の大泉緑地散歩、夕方は特養の母を訪ねることを日課にしています。先日崩していた体調を回復した母ですが、食事時に側に居て勧めたり世話をするとよく食べてくれるのです。8月22日の誕生日までもう66日。子、孫、ひ孫が集う「100歳を祝う会」も予定しています。ついつい後回しになっていた私用を片付けてから登庁。議会事務局などと打ち合わせをしました。
●昨夏、妻の実家の裏庭を流れる牛頸川の岸辺から持ち帰った「ヒメヒオオギズイセン」。植木鉢の中で球根が増え、咲き始めました。
6月18日(金)早朝に降っていなかった雨も、出かけるころから本降りとなりました。
今朝も大泉緑地を歩いてから登庁。最終本会議では市長提案の全議案を可決。続いて、議員提出議案の「意見書」を審議しました。大阪維新の会などが提出した「選択的夫婦別姓に反対する意見書」や「在日外国人の地方参政権に反対する意見書」は否決。ただし、採決時に民主党会派から1人造反者が出て、「賛成」の起立をしました。なお今日は、「プロジェクト堺」(西村真悟前代議士派)のうち1人が、「大阪維新の会堺市議団」に会派移籍したそうです。