《2011.12.25〜26》
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※12月24日以前の日記は、前ページに掲載

12月25日(日)クリスマス寒波。今日の気温は4℃〜6℃。しかも強い寒風が吹きました。

今日から、年末発送の第2次作業。朝からたくさんのボランティアの方々が来てくださいました。また、皆さんから「大事な仕事はないの?」と気遣われながら、私も一日中、仲間に加えてもらいました。お陰で、予定を超えるスピードで作業は進んでいます。ありがたいことです。
議員活動を始めたころ、家族だけで、除夜の鐘を聞きながら、まだ作業を続けていたことを思い出します。宛名書き、封入、のり付けなど、すべての面で合理化が進んだとはいえ、「議員活動報告」の読者が多くなり、発送量は何倍にもなっているはずです。

12月26日(月)昨日より気温は1℃上昇。しかし、とうとう「雪」が舞いました。

なお今日は、懐かしい来訪者もありました。私が市議活動を休止中の1994年、「若者を市議会に送りたい」と言ってやってきたTetsuちゃんです。私を運動に巻き込んで成功させた彼も、今や40歳代半ば。その運動が縁で結ばれた(?)Toshiちゃんと、可愛い娘さん2人も一緒でした。

ボランティアの皆さんの手で、事務所の作業は今日も快調です。見通しがついたので、午後から登庁。久しぶりに「倫理調査会」を傍聴しました。
●間もなく“29歳”の「倫理条例」はいま・・・
1983年2月、議員の汚職事件に怒った市民の直接請求で、堺市議会は全国初の「倫理条例」を制定しました。この条例に基づいて、議員と市長が提出する資産報告書等の審査にあたるのが倫理調査会です。構成は、市民7人と議員6人。市民参加によって政治倫理を確立するという強い思いで、当時の市民の皆さんが考えついた仕組みです。
●公募で選ばれた7人の市民委員は・・・
市民の誰でもが委員になれる…という理想論に基づいて、応募者からの抽選で委員が委嘱されます。今日の調査会では、2人の委員が熱心に発言していました。しかし、他の市民委員からは一言の発言もありません。すべての委員がきちんと報告書に目を通し、市民としての素朴な疑問を感じることはなかったのか、いささか不安を覚えました。
●傍聴席には、審議資料の備えもなし
それでも2人の委員の指摘を確かめたいと思い、会場に資産報告書のファイルがないか探してみました。しかし、傍聴席にその備えはありません。そういえば、事務局が読み上げている説明資料も、委員に配られているのに傍聴者は「耳で聞く」だけです。堺市では、2年前に「審議会等の会議の公開に関する基準」を定め、傍聴者にも資料提供することを促しています。最近ではほとんどの審議会で、傍聴者が審議状況を理解するための配慮がされているのです。
●「あっ!」と驚いた、倫理調査会「議会委員」の自覚と認識
倫理調査会が資料提供しない理由を事務局(行政部総務課)に確認すると、第1回の調査会に諮ったところ、「その必要はない」と決定された…との説明です。そこで、議事録を読んでみました。初めは、今日も発言した2人の市民委員が「提供すべきだ」と主張しています。しかし、その主張を3人の議会委員がつぶし、結局「提供しない」と決めた議論の過程が鮮明です。
吉川守委員(ソレイユ堺)=市政情報コーナーで公開されている。選ばれた議員や市民委員が審議を十分する。それ以外に疑問があれば、いろんな方法でとれる。だから、「式次第」程度のもの以外の配布は不要だ。
乾恵美子委員(共産党)=審査委員が審査しているのだから、傍聴者には(資料提供は)必要ない。傍聴者には守秘義務がないから、一人歩きする。公開されていても、まだこの中(倫理調査会)で議論されていない。これからするのだ。「公開しているからいいじゃないか」というものでも、みんな知り得ているものでもない。
池田克史委員(大阪維新の会)=傍聴者の人数は分からず、皆さんに配る筋でもない。たまたま今日は1人で1部だが、1部で済むかどうかということもあるので、そこ(資料配付)までしなくていい。市民の代表、抽せんで選ばれた方が主で議論するのがこの調査会ではないか。
30年前、市民が議会にプレゼントした政治腐敗防止の「理想論」は、「市民目線」が叫ばれる時代になっても、まだまだ議員たちの自覚や認識を変えるに至っていないようです。

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