8時15分、テレビの前で黙祷。土曜日は治療がないので、午前中にトレーニングジムとプールを済ませました。午後は、1週間分の衣類を洗濯機と乾燥機に委ね、ベッドで高校野球を観戦。もっとも、心地よい午睡にひたっている時間の方が長かったかもしれません。
ところで、昨日のブログに書いた「おってですか?」について、図書館で借りてきた「兵庫県ことば読本」(兵庫県高等学校教育研究会国語部会編)に興味深い記述があります。同会が県内各地域で行った調査の一項目で、「校長先生は職員室にいらっしゃいますか」の「いらっしゃいますか」(ほかの先生に聞くとき)の方言を質問しています。調査結果は、尼崎「イタハルカ」、神戸「オッテカナ」、姫路「イル」または「オル」、家島「オッテカ」、加古川「オリマスカ」、但馬「オリンサルケーナ」または「オンサルケー」、そして、相生「オッテデスカ」。ただし、この調査の質問票には、「子どものころご自身が使っていた方言をご記入ください」と記されています。

《2011.8.6〜8》
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※8月5日以前の日記は、前ページに掲載

8月6日(土)原爆投下66年目の「広島・原爆の日」。「平和利用」で再度の被曝…

今日も陽子線治療は休み。昨日同様、トレーニングジムと水泳は午前中にいつものメニューをこなしました。
午後から、相生市に隣接するたつの市御津町の室津へ。室津港は、江戸時代に参勤交代の西国大名のほとんどが、海路でここに上陸して陸路を進んだ地。往時の雰囲気が町並みに残っています。地図も持たずに歩き、家の表で仕事中の地元の方に「万葉歌碑がある場所はどこですか」と尋ねたのですが、首をひねって「万葉岬では…」との返事。「藻振鼻はどちら?」と質問を変えると、丁寧に道筋を教えてくださいました。
さて、その藻振鼻には、山部赤人の「玉藻刈る 辛荷の島に 島廻する 鵜にしもあれや 家思はざらむ」を刻んだ黒御影石の碑が建っていました。「辛荷の島」は、碑の背後の播磨灘に浮かんでいる地ノ唐荷、中ノ唐荷、沖ノ唐荷(左から)の三島からなる島です。なお、解説本によると、この歌は、難波方面から官船で西に向かう赤人が辛荷の島を過ぎるときに詠んだ長歌に続く三首の反歌の一つ。「全編妻恋いの気持ちに侵されている」(神野富一著「万葉の歌−人と風土−6兵庫」)と評される望郷歌です。ちなみに、長歌、反歌のすべてを収めた巨大な歌碑が金ヶ崎の万葉岬に建っています。
▼写真下は、犬養孝博士の筆による歌碑の書。室津町並みの中にある「海駅館」の一間に飾られていました。「本物ですか?」と同館の管理人に確かめたところ、「違うでしょう」とのことでした。

24回目の陽子線治療を受けました。徳山駅から新幹線通院されている「ハセガワ」さんは、今日で治療終了。検査日も含めて通院日数は40日になるそうです。そして、今日も危うく、二人は受付で取り違えられそうになりました。午後は、いつもどおりジムと水泳です。
▼病院の昼食には、「立秋」のメッセージカードが添えられていました。いつもながら栄養科のスタッフの皆さんの心遣いに励まされます。

8月8日(月)立秋の今日も、33℃の真夏日です。一日中快晴でした。

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8月7日(日)最高気温33℃。久しぶりに歩いた炎天下の道で、汗だくになりました。