《2011.8.9〜11》
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※8月8日以前の日記は、前ページに掲載

8月9日(火)長崎でも「原爆の日」。治療を終えて戻るカーラジオから鐘の音が…

8月11日(木)大震災から5か月。今なお、行方不明者4744人、避難者8万人超

陽子線治療は25回目。新たに治療を始める方々が増え、待合ロビーの顔ぶれもかなり入れ替わったようです。午後、トレーニングジムは休館なので、プールだけを済ませました。また、市議会の控え室にたまっている書類(陳情書など)を持って事務局の職員が来訪。議会改革を検討している「議会力向上会議」の模様や、8月16日に開会する「行政評価等調査特別委員会」の予定、さらに25日から始まる8月議会に向けての段取りなども協議しました。

27回目の陽子線治療が終わり、明日からまた装置のメンテナンス期間に入るため、16日まで治療は休みとなります。ただし、明朝、入院先の病院での検査があるので帰宅は一日延ばしました。午後はいつもどおり、トレーニングジムとプール、そして図書館です。
さて、その市立図書館のホームページで知ったのですが、入院中の病院から粒子線医療センターに通う道路のすぐすばにある神社にも万葉歌碑があります。7月26日の日記に書いた光専寺の近く、所在は「矢野町字森」です。治療の帰り道、当該の「磐座(いわくら)神社」に立ち寄りました。境内の歌碑に刻まれた歌は、「妻籠る矢野の神山露霜に匂ひそめたり散らまく惜しも」と「朝露ににほひそめたる秋山に時雨な降りそあり渡るがね」の二首。作者は柿本人麻呂と思われるそうです。図書館ホームページの解説には、「石見の国と大和との往還の途次、たまたまこの磐座神社境内の黄葉を見聞して、感に堪えずこの歌を詠んだもの」と記されています。
▼写真の鳥居の奥、神殿の前には立派な銀杏の木がそびえ立っていました。なお、碑面の文字は「西本願寺本万葉集」によるとのこと

陽子線治療は26回目。全39回の3分の2まで来ました。熊本市のFさんは今日が最終回。相生市民病院から粒子線医療センターに通っておられたのですが、すでに退院手続きを終え、治療が終わればすぐ帰宅の途につかれるとのこと。お気持ちが分かります。また、今日は照射装置のトラブルで治療開始が30分遅れたものの、何とか午前中に終了。午後は、トレーニングジムと水泳です。
ところで、ジムからの帰りに通うようになった市立図書館のそば、中央公園内の丘にも万葉歌碑が建っています。「縄の浦に塩焼く火気夕されば行き過ぎかねて山にたなびく」。日置少老(へきのおおゆ)という伝記不明の人の歌だそうです。「縄(なは)の浦」は、「那波」(なば)として地名が残っています。
ちなみに、相生湾に面して隣り合う那波村(後に町)と相生村(同)が合併(1939年)して、相生町(後に市)が生まれました。相生駅も、鉄道開通時(1890年)は「那波駅」でした。(出典:相生市教育委員会発行「わたしたちの相生」=小学校中学年社会科の郷土学習資料)
▼写真上=中央公園の万葉歌碑。写真下=「正統那波史」掲載の古地図(中央部の赤い地点は、陸続きではなかった大島)

8月10日(水)堺も暑かったようですが、相生でも35℃。いずこも「猛暑日」です。

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