「相生と書いて、おう、と読ませるこの町は、瀬戸内海の小さな港のひとつであった。一里ばかり出て行けば、山陽本線の那波という停車場へ出る。それは神戸と岡山の中間にある小駅だった」。少女時代の一時期、「この町」に住んだ佐多稲子が書いた小説「素足の娘」(1940年発表)の一節です。なお、「那波駅」は1942年に「相生駅」と改称されました。その相生市でのほぼ2か月にわたる入院生活は、あと3日で終わります。明石市生まれの私にとっては、懐かしい播州弁で話しかけられる心安まるまちでした。
治療の待ち時間にたくさん読んだ藤沢周平の作品のひとつ「小川の辺」に、「海坂領は三方を山に、一方を海に囲まれている」という下りがあります。方角は異なるといえ、相生市街の地形状況(入り江のため四方に山)も同様です。作家自身の心が安らかになる故郷のまちが、多くの藤沢作品の舞台(海坂藩)となったのではないかと、勝手に想像しています。
どこに居ても山が見える相生の風景も、心を癒やしてくれます。病室の窓から毎日見ている「宮山」に、いちど登ってみたいと思っていました。退院まで最後の日曜日となって実行。標高は174mですが、やはり休み休みの登山でした。麓にある那波八幡の境内で登り口を教えてくれた地元の人の話では、「頂上近くに水晶があって、子どもたちが探しに行く」とのこと。帰院後、「お変わりないですか?」と様子を見に来てくれたナースも、「小学生のときに登り、採ってきた水晶を今も持っている」そうです。水晶探しをするまでの元気はありませんでしたが、頂上や付近の岩場からの眺望を堪能して下山。帰り道で、大島山の山頂も確かめました。
午後は、ずっと病室で過ごし、議員活動の再開に備えて資料の読み込み。夕方図書館へ。
8月28日(日)今日も32℃。猛暑のなか、病院の窓から眺めている山に向かいました。
▲大島の左上に播磨病院
粒子線医療センターでの治療も最終週になり、待合ロビーの顔ぶれがだいぶ変わっています。このところお話しする機会が増えた姫路市のSさんが「朝日新聞のコメントを見た」と、記事のコピーを持ってこられました。余談ですが、Sさんが勤務されていた会社には妻の甥が勤めており、よくご存じだそうです。さて、今日は37回目の陽子線治療。照射部の炎症が少し変わったため、入院先の皮膚科で新しい薬を処方してもらいました。
●民主党代表選は、カーラジオとジムのテレビで…
午後は、トレーニングジムです。そのジムのテレビで、民主党代表選の結果を見ました。なお、代表選での前原演説は、治療から戻るカーラジオで聞きました。外国人献金の言い訳から始まった前原氏の主張は、この人の言動にいつも感じる不安感をまとっています。他方、入院先の病室に戻り、テレビで聞いた野田氏の名演説ぶりには、いささかの驚きも覚えました。自らを「どじょう」にたとえる演出も成功したようです。また、決選投票を前にした野田氏と海江田氏の決意表明では、「下心よりも真心で、論破よりも説得で、政治を前進させたい」と語り、内容の具体性や安定感において野田氏が圧倒していたように思います。民主党国会議員の多数は、小沢氏の思惑とは逆の「ベター」候補を選びました。それでも、2年前、政権交代に寄せた国民の期待を呼び戻せるような民主党立て直しの道は険しいでしょう。今春の統一地方選での衰退ぶりを、同党地方議員が自覚できているのかも問われるところです。
8月29日(月)残暑厳しく33℃。治療に通う道路沿いの田は実りの季節を迎えました。
▲那波港から見た宮山