《2014.5.2〜4》
(1386)

※5月1日以前の日記は、前ページに掲載

月2日(金)快晴で24℃。夏日に近づいてきました。体の準備ができていないのに…

午後から登庁して、調査依頼していたことについて人権部から報告を受けました。また、昨日の大和川線工事にからむ市民の方からの通報について、新任の建設局長が説明に来たので、これまで懸案となっている諸々の事案に対する取り組み姿勢も確認。前職の時代から口八丁手八丁の人でだけに、解決への道筋がつくことを期待したいものです。
さて、先の福島県でのスタディツアーの際、「いわき初期被爆を追及するママの会」(ママベク)が行っている署名運動のことを聞きました。いまのなお放射性物質が大量に放出される中、学校給食に地元産の米を使おうとする行政の意向に危機感をいだいている方々の運動です。

先日の市政報告会の際、「全国からの署名を集めたい」とのご意向を参加者の皆さんに伝えたところ、たくさんの方々が署名用紙を持ち帰ってくれました。そして、もうすでに署名欄が埋まった署名を届けてくださり、用紙追加のご請求もあります。

月3日(土)大型連休の後半が始まりました。好天で23℃。半袖姿の人が増えています。

危機が一段と増している「憲法」記念日。TBSの「報道特集」を見ていたら、第一次安倍内閣で法制局長官を務めた宮崎礼壹さんが登場。鋭いコメントに惹かれて調べてみると、宮崎さんは、安倍首相から集団的自衛権の行使を違憲とする法制局の憲法解釈を変更するように指示を受け、職員総辞職の可能性を示唆して抵抗した人だそうです。
さて今日は、和歌山県田辺市と堺市との友好都市協定の調印式が行われ、出席しました。以前にも書きましたが、1985年5月17日に旧・本宮町の泉幸徳町議らが私を訪ねて来られ、交流が始まりました。その後、泉正徳町長(幸徳議員の子息)の折に友好都市提携の協定が締結されましたが、田辺市との合併で解消。改めて、田辺市との協定調印に至ったのです。両市長による調印儀式後に、堺市に本拠地を置く大阪交響楽団が「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」を演奏。続く奥熊野太鼓の演奏と共に、両市の交流の深まりへの期待と楽しさを感じさせる演出でした。

妻の義兄が病のために亡くなったのは、12年前。祖先が岩国藩士だった関係で、藩主の墓所でもある岩国市の洞泉寺にお墓があります。同寺で今日、義兄の13回忌法要が営まれたので、朝の新幹線で岩国市に赴きました。
錦帯橋近くのホテルでの御斉(おとき)が終わってから、広島バスセンターまでバス。そして高速バス(しまなみライナー)に乗り継いで今治市へ。明日から始める5回目の区切り遍路に備え、前回打ち終えた55番寺に近いホテルに宿をとりました。

月4(日)今日も快晴。岩国市の錦帯橋付近は、大勢の観光客で賑わっていました。

「アクション日記」月別インデックスへ