堺区榎元町の三叉路。大小路から市役所前を経て歩いて来て、ここで左にとると竹之内街道、右に進むと西高野街道です。両街道とも、大小路を出発してここまでは同じ道。少し手前には、西高野街道の十三里石が建っています。
午前中は所用で外出。その後、事務所で仕事をして、午後遅く登庁しました。堺市役所では、北側の市民交流広場を整備中で、その間、市民駐車場を地下に移しました。議員の駐車スペースも少しあって、出入りする車を整理するため、地下に何人もの警備員さんが配備されるようになりました。地上以上に冷え込み、ときには強い風も吹き込む、厳しい環境です。それに、きっと排気ガスのことも心配しながら仕事をされていることでしょう。いつも申し訳ない気持ちだったのですが、暖かくなった今日は防寒着を脱いだ姿を見て、少しホッとしました。
言うまでもなく、警備の仕事は民間業者に委託しています。委託先は入札で決めるので、委託企業間の価格競争が激化して、働く人たちの労働条件の悪化が見られます。これを防止するために「公契約条例」を定めている自治体もあり、日本弁護士会などが法整備を求めています。今議会に、共産党市議団が「公契約法の制定を求める意見書」の提案を試み、私も賛成するつもりだったのですが、可決の見込みが得られないので取り下げられました。公正な労働基準を確保することは国や自治体の責務なのに、残念です。明日は最終本会議です。
今日、この場所に道標が復元されました。元の道標(写真右)は「明治三十八年四月」に「大阪府」が設置。車に当てられたりして損傷し、堺市立埋蔵文化財センターの庭に置かれています。その石に、復元された文字が刻まれているのが読み取れます。新しい道標は、「平成二十九年三月
堺市再建」の文字が加えられ、車の接触を防ぐために背丈は元のものよりも高く作製されています。設置作業を見守っていた近所の男性(88歳)の話によると、「もうちょっと右」の位置だったとのことですが、現在の道路状況ではこの場所が安定しているようにも思えます。
なお、昨日書いた中区福田の道標修復の他にも、出発点の大小路に「西高野街道」の石碑が建ち、側に「案内板」が設けられることになっています。四国遍路のお礼参りで高野山に向かう人たちが、この道標を頼りに歩く姿が見られるようになったら嬉しいのですが…。昨年5月、この道を歩きに来て下さった埼玉県のIさんご夫妻に、早速ご報告しなければなりません。