昨日、京都駅前にある「京都市大学のまち交流センター」(キャンパスプラザ京都)のホールで開催された米澤鐵志さんの出版記念会は、米澤さんが在学中から取り組んでいる労組活動や平和運動、その後の反核・反原発運動の仲間などが集まり、盛会でした。
私が立命館大学に入学した1960年、米澤さんは二部学友会(夜間部の全学自治会)の委員長でした。折からの安保闘争以後の学生運動や、その後の市民運動でも何かとお世話になった先輩です。
出版記念会のことを知らせてくれた後輩から、「米澤さんが2冊目を出版した」と聞き、調べてみたら、2013年に「ぼくは満員電車で原爆を浴びた」(小学館)の語り部でした。今回の「原爆の世紀を生きて」と併せて読み、学生時代には伺ったことがない米澤さんの被爆体験を初めて知りました。
広島に原爆が落とされた8月6日、疎開先から戻った米澤さんは広島駅から路面電車に乗っていて、爆心地から750mのところで被爆。国民学校5年生、11歳でした。同乗していた母親と疎開先に逃げ戻るまでの惨状や、原爆症による苦しみなどがリアルに伝わる本です。母親と被爆後に授乳された妹さんは相次いで死亡。電車被爆で生き残った「奇跡の7人」も、今は米澤さん1人になったそうです。1984年ごろから各地で被爆体験を語り、2011年の福島原発事故で自身の体験を本に残すことを決意。体験談を聞いた由井りょう子さんに勧められ、文章を委ねたのが第一作です。
出版記念会には、同時代の学生運動仲間、新開純也さん(京大)、山本健治さん(立命)らも出席。新開さんとは、50数年ぶりの再会です。(写真右=米澤さん)
早朝、いくつかの集合住宅をまわって「議員活動報告」を配布。1時間半で1187部。続いて、午前中に長曽根町の残り地域と黒土町の一部を2時間半歩いて、600部をお届けしました。なお、今日は立命館大学で共に学生運動に携わった米澤鐵志さんの出版記念が開かれるので、夕方から京都へ。
昨夜、京都からの帰宅が遅くなり、きょうは少しゆっくりさせていただきました。なお、今週の駅前議会報告の予定は、22日(月)百舌鳥八幡駅、24日(水)白鷺駅、26日(金)三国ヶ丘駅です。水曜日ごろに天気が崩れるとの予報で、やや心配しています。ともあれ、皆さんのご協力のお陰で、駅前議会報告は半分の日程を終えました。