《2019.8.15~17》
(2200)

※8月14日以前の日記は、前ページに掲載

月15(木日中は断続的に小雨。夜になって強い雨が降っていますが、風は平穏です。

74回目の終戦記念日。疎開していた山のお寺の庭先から、空襲で焼ける街の夜空を眺めていた記憶がかすかに残っています。終戦後、当時住んでいた明石市の家に戻ると、数十メートル離れた場所までたくさんの家屋が焼け、我が家にも焼夷弾の部品が屋根を突き破って落ちていたという話を父母から聞きました。また、祖母は米軍戦闘機からの機銃掃射も体験したと話していました。いずれも5歳くらいの記憶でずいぶん曖昧ですが、鮮明に覚えているのは小学校入学後、何人かの同級生の父親が戦死していたことです。
食糧難で母や祖母が農家に買い出しに行っていたこと、駅前の闇市や、負傷した身体をさらして物乞いする白衣の傷痍軍人の姿など、戦争がもたらした人々の労苦を見ながら育ちました。戦争犯罪を裁く東京裁判のニュースから「東条英機」という名前も鮮烈に記憶しています。
まったくの余談ですが、先日「勤続30年議員」として市長からもらった感謝状に「英機」の名があり、ヒトラーを真似ながら日本国民を無謀な戦争の犠牲にした陸軍大将でもある首相のことを思い起こしました。(もちろん、永藤市長には何の責任もありません。)
ほんの僅かではあっても「戦争体験」をかすめた世代として、「平和」への思いをずっと抱き続けています。憲法9条は、だからこそ大切にしなければいけいないと、言い続けたいと思います。

「超大型」が「大型」に変わり、いつの間にか暴風圏も消えた台風10号。堺では強風による被害はなかったようです。昨年9月に来襲した21号の経験から、屋上の日よけテントや2階ベランダのよしずスダレを取り外し、琉球アサガオのネット支柱を補強するなど、備えを固めましたが空振りでした。ホッとしながらも、四国や紀伊半島南部での豪雨など、各地で被害に遭われた方々はきっと大変だっただろうと思いを巡らせています。
堺市内でも、河川氾濫などに備えて避難所108個所が設置され、48人の方が避難されたと、危機管理室からの報告がありました。幸い「特段の被害は報告されていない」とのことですが、夜を徹して対応に当たった関係職員をねぎらいたいと思います。 

何年ぶりかのフェリー旅。出港間際に大事な忘れ物を思い出して大慌て。事務所スタッフに電話して宅配便で送ってもらいましたが、迷惑をかけました。
新門司港には早朝6時に着岸。うどん店で朝食後、太宰府天満宮へ。境内は中国人観光客らで賑わっており、地元町内の氏子たちが秋祭りで使うしめ縄を作る光景も見ることもできました。
大野城市の妻の実家で一休み後、昨年開設された「大野城心のふるさと館」に足を運んで、目加田誠・さくを夫妻の展示を見学。目加田誠さんは1989年の平成への改元の際、最終3案に残った「修文」を提案した中国古典の研究者。大野城市に住まいがあって、日本文学者の妻と共にその業績を称えて大野城市が蔵書などの展示場を設けました。

月16(金台風は日本海に抜けて北海道へ。激しい雨も、朝の内に降り止みました。
月17(土昨夜のフェリーで福岡へ。当地は、朝からよく晴れて、24.5℃~32.0℃。

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