《2003.12.31〜2004.1.1》
(128)
12月31日(水) 雨の大晦日。今日も、そして明日も、休みなく働く人がいるのですね。
とうとう今年最後の日を迎えました。思えば昨年の今ごろは、12月8日に
「堺市政へのカムバック宣言」をして走り始めていました。たくさんの方々がお力を貸して下さって、今年4月27日にはその思いを実現することができました。ご助力をいただき、また私たちのこの“運動”にご参加下さったたくさんの方々に、あらためて感謝を申し上げます。
以来8か月、「新人」のつもりで“公約実現”への努力を重ねてきました。議員の海外旅行の取りやめ、出席費用弁償の制度見直しへの動き、議会改革のための特別委員会設置など、堺市議会は早速変わり始めています。また、市議の産廃不法投棄事件、その舞台となった酪農団地の不適切な牛尿処理による河川汚染、学校での体罰増加や安全管理の手抜かりなど、さまざまな市政の問題点にも切り込んできました。ご心配いただいた「10年間のブランク」は、私自身の議会活動に支障をきたすことはありません。ただ、この10年、堺市政はこれほどまでに緊張感を欠いて来たのかと驚くばかりです。来年も、きっとたくさんの課題に直面するでしょうが、皆さまのお力添えを得て取り組みを進めたいと思っています。
さて、わが家のおせち料理はここ数年、和泉市の桃大前で店舗を営むワーカーズ・コレクティブ
「味工房エル25」に予約しています。今日、受け取りに行くと、これを最後に9年あまりの活動に幕を閉じるとのこと。新年からは事業譲渡した別組織によって営業が継続されるそうですが、突然のことに驚きました。しかし、きっと何かをやり遂げられたことでしょう。女性25人が出資して始めたことに因んだ名前をつけたこのお店の無添加弁当が、桃大復職時(8年間)の私のお昼ご飯でした。長い間、ありがとうございました。
余談ながら、昨日、右の寄せ植えをケアハウスの母に届けました。一見骨董ふうの鉢は、私が生まれた明石市弓町の家から、最初に転居した大阪市此花区春日出町を経て、母が50年暮らした守口市祝町の家まで持ち続けたもの。ケアハウスに入居するときわが家に預けられていましたが、紅白の接ぎ木梅、南天、笹など、お正月向きの素材を植えて持って行ったら、ことのほか喜んでくれました。母は、来年、94回目の誕生日を迎えます。
1月1日(木) 不穏な世相を忘れさせるような、爽やかで穏やかな新春を迎えました。
朝7時15分、わが家の屋上ベランダに立って、葛城山頂付近から昇る初日の出(写真右)を見ました。その後約1時間、日頃お世話になっているご近所の皆さんのお宅に自転車で伺って、新年メッセージとニュース・レターを配達。いったん帰宅して、家族とお雑煮をいただいてから、さらに3時間ほど団地内を回りました。戻ってみると、妻と息子、それに昨夜から泊まっていた娘夫婦や孫までが総出で残りの地域を回ってくれており、用意した千数百通の大半を元旦にお届けすることができました。
もっとも、「自宅近くを配ります」と言って年末に持ち帰られた方もあって、正月早々からお力添えを得ています。配達中、年始ご挨拶とともに、「今年もがんばって下さい」と声をかけて下さる方とも出会いました。たくさんの方々にお支えいただいての活動が、また今日から始まリました。皆さんと共に「市民の旗」を押し立て、政治の改革に努めます。新しい年が、皆さまにとって良い年となりますように…。