《2004.1.19〜22》
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1月19日(月) 寒風のなか、ひとりの老闘士とお別れをしました。
共産党の市議だった尾崎孝三郎さんのご葬儀に参列させていただきました。合併前の登美丘町議からスタートした尾崎さんの議員歴は45年。私の勤務先する大学が「登美丘キャンパス」を設けた1966年ころ、通勤中に見かけた政治看板が強く印象に残っています。その後、同じ堺市議となった折には、議員団の長老格として接していただきました。しかし、柔和な表情の奥にしばしば「闘争心」を感じさせられのは、さすがに筋金入りの活動家というべきでしょうか。失礼ながら、最近の共産党議員の方々には、そんな厳しさが希薄になったような気がしてなりません。弔辞によれば、12月23日、寒い街頭で知事選の準備ビラを配布中、心筋梗塞のため救急車で病院に搬送されたとか。81歳というご高齢になられてなお、闘い続けて倒れられた尾崎さんのご冥福を心から祈ります。
1月20日(火) 冬至から29日目。日足は、もう30分も長くなっているそうです。
堺市議会の臨時議会が開かれました。開会前、議長と市長が新年挨拶をするために開く恒例の議会で、どちらの挨拶にも「政令指定都市」という言葉が踊っています。もちろん「美原町との合併」が前提となるのですが、その美原町で今日、「合併の是非は住民投票で決めてほしい」という直接請求が行われました。昨年3月、同じ趣旨の直接請求を町議会で否決されてなお、前回の2倍、7千人を超える署名を集めて再請求した住民の皆さんのねばり強さに感服します。「町の将来を自分たちの手で真剣に考えたい…」。そんな思いに満ちた人々のこれほど多くの声を、はたしてたやすく葬り去ることができるでしょうか。民主主義や地方自治の原理・原則をどう認識しているか、町長や町議たちの資質が問われます。
1月21日(水) 大寒ですが、雪ではなく雨になりました。
毎年の受診を心がけている人間ドックに入りました。どこかに変調をきたしていないかを調べてもらうはずなのに、「せめてこの日だけは、よい数値が出てほしい」と願う、不思議な心境です。検査の合間にテレビを見ると、ちょうど民主党の松本議員が、小泉首相の最初の答弁に納得せず、8項目にわたって再質問をする場面でした。小泉総理が「全て答弁ずみ」と突っぱねたところで、散会の動議。議場が騒然となりながらも、与党は数を頼んで押し切りました。戦後日本の歴史を大きく転換させることになる「自衛隊の戦地派遣」の議論が、こんな扱いでいいのでしょうか。「国権の最高機関」であるはずの国会がこの程度のものだということに、強い怒りが湧いてきました。
1月22日(木)予報どおり、今冬いちばんの気温低下となった「大寒の翌日」です。
今日までに判明した人間ドックの結果は、“期待どおり”に昨年よりも良好なデータが出て、精密検査の必要も皆無でした。少しばかり「栄養指導」は受けましたが、食べ過ぎと運動不足を反省しながら、この1年、また全力を尽くします。
それにしても、今日はほんとうに寒い日となりました。帰宅すると、鉢植えの花々がしおれ、バケツの水面が凍っていました。昨日まで元気だった花たちを愛おしみ、事務所内に避難させてあげましたが、はたして立ち直ってくれるでしょうか。午後、小雪混じりの冷たい季節風が吹きすさぶなか、ボランティアの事務所スタッフ笹岡保男さんは、ニュース・レターの束をかかえて、「配ってきます」と自転車で外出。申し訳ないと思いながら、私よりも年長である笹岡さんのお元気さと、活動の様子をなるべく多くの方々に届けたいという熱意に敬服します。