※4月19日以前の日記は、前ページに掲載
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《2005.4.20〜23》
4月20日(水) 「穀雨」らしい雨が、木々や花々を喜ばせてくれました。
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きょうは一日中、事務所で仕事。先日の「非公式議運」で意向打診があった「海外視察」について、これまでの実施状況などをまとめる資料づくりにかかりました。初めて市議に当選した1979年、議長から「長谷川さんにも任期中に行ってもらうから…」と持ちかけられた話を、きっぱりと断ったところから始まった闘いを振り返っています。監査請求や訴訟を起こして下さった住民の皆さんの力も借りて論争を続け、1982年の旅行は中止。その後10年を経ての復活には、「市民参加」や「自前報告書」などの条件を付けました。
ところが、私が議員を辞めたとたんに「市民」を排除。1993年以来、議員だけ(随行職員付き)で、ヨーロッパやアメリカ、豪州への旅を続けてきました。1人あたりの予算は100万円。「府議の旅行よりも豪華」と、地域新聞から批判されています。また、O157事件の発生時には、「病床で苦しむ子どもらを顧みないで出発した」として不興を買いました。その一方、テロ事件やSARS騒ぎで延期や中止するなど、およそ身勝手な公費旅行です。市議へのカムバックを果たしてからの2年間、なんとか思いとどまらせてきましたが、そろそろ我慢の限界が来ているのでしょうか。それにしても、財政難で市民や職員にはサービスや待遇の低下を強いながら、自分たちの報酬カットなどは棚上げ状態…。それでも「市民の皆さんが納めた税金で海外旅行をしたい」というのは、“傲慢”だと気付いてくれる議員はごく少数なのでしょうか。恐ろしいことです。
4月21日(木) 昨日とはうって変わって晴天。穏やかな春の日です。
午前中は、昨日から作成にかかっている「海外視察資料」の内容についての確認作業。午後から、堺市高石市消防組合の消防艇に乗船して、この消防艇の出場状況などについて説明を受けた後、臨海埋め立て地や旧堺港周辺の整備状況などを見学しました。また市役所に戻って、ご相談を受けていたいくつかの市政課題について調査し、相談者に連絡するなど、バタバタした一日でした。
4月22日(金) 引っ越し前から花壇に植えられていたツツジが咲き始めました。
所用があって、大阪市内の弁護士事務所を訪ねました。終わってから少し時間ができたので、裁判所近くに事務所を構えられる旧知の弁護士の方々にご挨拶。「市役所見張り番」の秋田仁志弁護士に久しぶりにお目にかかることができ、また同じビル内の佐伯千仭法律事務所では、学生時代以来お世話になっている佐伯先生(98歳)がお元気にしていらっしゃると伺って、うれしくなりました。
さて、いよいよツツジの季節。50年目を迎える浅香山浄水場の通り抜けも、28日から公開です。
4月23日(土) 新幹線で東京に向かう車窓に、懐かしいレンゲ畑を見ました。
東京に住む弟の義父が亡くなり、通夜式に参列するため、昼すぎののぞみに乗りました。この時間帯のゆえか、それとも臨時便のせいなのか意外に車内はガラガラでした。
お通夜が営まれたのは、故人が晩年の住処に選んだ埼玉県川口市にある葬斎センター。導師を勤めていただいた市内の寺院のご住職の法話が実に分かりやすい…と思っていたら、関西弁で話して下さっていることに気付きました。兵庫県のご出身とか…。言葉に、独特の柔らかみを感じます。