《2007.7.21〜23》
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※7月20日以前の日記は、前ページに掲載
7月21日(土)夜が明けるまでに上がっているはずの雨が、午前中もぱらつきました。
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所用で泉北ニュータウンへ。戻ってから、少し花鉢の手入れをしました。いつの間にか、イヌホオズキの実が真っ赤になっています。
午後遅くから、新金岡団地内に「事務所だより」をお届けにまわりました。自分で配ってみると、お名前や住所の間違いが見つかるほか、転居されたことなどが分かります。それに、宛名が漏れているものも何件かありました。団地外には昨日郵便でお送りしましたから、お届けすべきところにお送りしていなかったら、お知らせ下さい。
7月22日(日)“すっきり”とはいきませんが、晴れ間が出て、暑くなりました。
午前中は、事務所で資料整理。普段の管理がいい加減なので、必要なとき探し出すのに一苦労です。
午後は、美原図書館でいくつかの雑誌に目を通してから、隣接する中央公民館で開かれた「出前講座」を覗きました。合併の際の住民投票運動から続いている市民運動「ネットワーク・みはら」が主催するもので、きょうは、市立幼稚園の改革と後期高齢者医療制度がテーマでした。合わせて6人の堺市職員が説明。参加者からの質問にも答えていましたが、各1時間ではちょっと時間不足だったようです。
●昨日の写真(イヌホウズキの実)の少し上には花が咲いています。やがて、緑色の実になり、そして変色します。
7月23日(月)曇り空だったせいもありますが、夜明けが遅くなったような気がします。
天気予報になかったのに、今朝も、地下鉄・北花田駅BC出入口に向かう途中で小雨が落ち始めました。「きっと上がってくれる」との願いは通じず、終了予定時刻まで降ったり止んだり。傘を差して出勤される皆さんには煩わしいことだったでしょう。しかし、受け取って下さった「議員活動報告」の部数は前回とほとんど変わりません。また、今回の主なスピーチ場所は東側歩道だったのですが、若い世代の方々から数多くのエールや握手をいただきました。
さて、新潟県中越沖地震から1週間経ちました。柏崎市などの被害は相当なもののようです。そろそろ電話を使ってもいいかと思い、昨夜、巻町(現在は新潟市西蒲区)に住む“友人”Mさん宅に連絡を入れました。ほんとうは大学の1年先輩で、妻と同学科の人ですが、はるか遠くから私の活動を応援して下さって、ずっとカンパも送っていただいていました。ご自宅は、被害の大きかった地域から60q離れいるということでしたが、揺れは大きく、書棚の本が崩れ落ちたそうです。その上、片づけ終わったところに余震があって、被害は2度に及んだとか。地震発生時には、マイカーで橋の上を走っていて、一瞬、パンクしたか、それとも自分が脳疾患にかかったかと思うほど、運転不能に陥ったことなども伺いました。
ご承知のように、巻町は巻原子力発電所の建設を住民投票で阻止したところです。Mさんが「いま何よりも怒っている」と話して下さったことは、柏崎刈羽原発を裁判で争ったとき、住民が指摘した活断層の存在を東京高裁がまったく取り合わなかったこと。そしていま、地震による放射能漏れの風評が、佐渡島で3000人の宿泊キャンセルをはじめ、寺泊海水浴場や県内温泉地でもキャンセルが相次いで、新潟県民は大きな打撃を受けているのだそうです。