《2009.9.29〜30》
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※9月28日以前の日記は、前ページに掲載
9月29日(火)昨日のホームページへのアクセス数は、結局1400を超えました。
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先日、立命館大学の先輩である野瀬正巳さんから、「『立命館学園新聞』と私の青春」と題する冊子を送っていただきました。私が在学していたころの学内紙は「立命館大学新聞社」(学生組織)から発行されていたのですが、昭和20年代〜30年代、その「新聞社」で活躍されたOBたちの手記です。野瀬さんは同新聞社の主幹を務められた方で、米軍占領下の時代から60年安保のころまでの間に在籍した「社員」に当時を偲ぶ文集づくりを呼びかけ、このほど刊行されました。16篇が掲載されており、堺市の泉北ニュータウンなどを中心に発刊されている「泉北コミュニティ」の発行人・皿谷直三さんも執筆者の一人です。
昭和29年に法学部を卒業された吉田竣一さんの文章の一節には…
「太平洋戦争が日本の敗戦によって終結し、乱れた世相もやっと落ち着きを取り戻しつつあった二十五年四月、立命館大学の角帽に夢を抱いて、鳥取県倉吉市の『山陰』と呼ばれる片田舎から、トランクに米や味噌を始めとする生活必需品を詰め込んで、夜行列車で上京した」
と綴られています。私よりも10年前の世代の学生時代は、そんなふうでした。働きながら(アルバイトではなく本業)学ぶ「勤労学生」も多く、学生たちは、志した学問以上に世間の動きや政治に敏感で、変革の意気込みに溢れて行動しました。その余韻は、私の学生時代にも残っており、その後の人生の基礎とした人も多かったのではないでしょうか。
3選を目指してしくじった木原敬介市長は私よりも2歳年上で、1962年に大学を卒業し、64年から大阪府に勤められたとか。平和への思い、公共図書館の役割への評価、障害児への配慮施策など、共感を覚える部分もある政治姿勢は、ほぼ同じ時代の学生生活を共有したからではないか…と思ったりしたこともあるのです。ただ、ほとんどチェック機能を失った議会との関係が仇となり、緊張感を欠いて進めたLRT計画などが、木原市長の足をすくいました。私は、憂うべき事態を見据えながら、3月議会で「市民合意を得ていないLRT着工予算には反対する」と発言し、6月議会では「市長は、2期で任期を終えられるべきだ」と主張したのです。
きょう、市長選挙の結果に関する取材を受けた記者には、そんなことを振り返りながら話しました。さて、どのようなコメントにまとめていただいたでしょうか。
9月30日(水)ホームージへのアクセス数、昨日は約800。「議会開会中」の数字です。
昨日取材されたコメントが朝日新聞夕刊に載っています。その記事によると、きょう木原市長支援の6会派幹部が会合を開き、8日に就任する新市長への対応を協議したそうです。また、別情報では、竹山さんは保守系市議を訪ねて協力要請をしているとか。木原市長からの乗り換えを図る動きも出てくるのでしょうか。市民は、「変革」を求めて投票したはずですが…。
●私の入学時の「立命館学園新聞」には、末川博総長の自伝「彼の歩んだ道」が連載されていました。あらためて、卒業時にいただいた末川先生の教えを噛みしめています。下の写真は、卒業10年後にお宅を訪問したときのもの。左端は、高槻市議や大阪府議を経て、現在テレビコメンテイターをしている山本健治さんです。