2月13日(土)「一昨日まで暖かかったのですが」…宿の主人がすまなさそうに挨拶。
※2月12日以前の日記は、前ページに掲載
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《2010.2.13〜15》
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昨日から今日の昼前まで、ゆっくりと過ごさせていたいただいた旅館は「おおぎ荘」です。写真は、出発時に見送って下さった経営者ご夫妻とお母さんで、このほか、東京で調理人の腕を磨いてきた息子さんが厨房を担当されています。家庭料理風で肩のこらない食事、阿蘇外輪山を望む展望風呂、それに落ち着いた内湯と露天風呂など、久しぶりにゆったりとして、疲れを癒すことができました。ご主人がこの地に温泉を掘り当て、宿を開いたのは1991年だとか。建物や調度、お風呂の造り、それに食材にもこだわりが見られ、その説明も楽しく聞きました。
この宿から1時間ほど車を走らせると大分県竹田市に至ります。久住高原を抜けるドライブウェイの途中には、与謝野晶子が1931年にそこを訪れた際に詠んだという歌碑が建っていました。竹田市では、以前からいちど行ってみたかった岡城趾を訪ねて「荒城の月」の作曲背景に触れ、併せて、滝廉太郎の妹の孫になる筑紫哲也さんのことも偲びました。帰路に通った九重森林公園スキー場付近では霧氷が見られ、車の温度計が示した外気温は「1℃」でした。今日は、ずいぶん寒くなりました。
2月14日(日)天気予報は「西から下り坂」でしたが、雨に遭わないまま帰阪しました。
10時すぎに福岡を発って堺に向かいました。下松サービスエリアで休憩後、広島付近で写真のトラックと出会いました。ボディに描かれた原爆ドームと「核兵器廃絶」の文字。峠三吉の詩の一節も書き込まれています。実は、往路でも見かけたのに追い抜いてしまい、じっくり観察できなかったのです。まさに奇遇の再会でしたが、そのままピッタリ後ろに付き、事故渋滞中の西宮名塩SA付近まで追走。帰ってから調べてみると、朝日新聞の記事が見つかりました。走らせているのは広島市の運送会社で、34台の所有車のうち14台に同種の装飾をしているとか…。
2月15日(月)予報に違わず昨夜から雨が降り始め、冷たく湿った一日でした。
お昼前に登庁。飛び石連休だったせいか、今日は比較的多くの議員が市役所に顔を見せていたようです。先週中に処理仕切れていなかったご相談ごとに対応。また、2月議会に向けての情報収集にも当たりました。
※朝日記事(2008年8月4日)によると、「広島市の運送会社長前村弘行さん(62)が結婚後、妻(61)の両親が広島で被爆したと知り供養のために始めた。23歳で最初に買った1台にドームを描いたのを手始め」…だったそうです。