2月20日(土)一日中お天気に恵まれ、比較的暖かい日となりました。
※2月19日以前の日記は、前ページに掲載
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《2010.2.20〜23》
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午前中、毎年お招きをいただいている幼稚園の生活発表会を見学。今年は、園児たちの楽しげな演技の合間に挨拶をさせていただくなど、大変恐縮しました。
正午から、大阪市内で開かれた「故・川島慶造さんを偲ぶ会」に参加。川島さん(写真)は1933年生まれ。60年代に大阪市港区で公営住宅建設の要求運動を起こすなど、住民運動の草分け的な人です。またその後、会社経営の傍ら様々な市民運動や文化活動の支援を続け、私も事ある毎にお世話になってきました。ところが昨年3月3日、病の治療叶わずに76歳で他界されたと聞き、残念でなりませんでした。今日は、その死を惜しむ各界各層の方々と共に発起人を務めさせていただきました。
予想を超える大勢の出席者に、故人の活動範囲の広さを再認識。誰もが、「川島さんにいちばん世話になったのは自分」という思いを抱いておられたような気がします。会の終わりに息子さんが、「父親は熱い男だと思ってきたが、きょうはもっと熱い人たちが集まって下さった。我が子からは『じいちゃん、よう偲ばれるんやな…』と言われた」と挨拶。2005年9月30日の出版記念パーティーでお目にかかった折には、ほんとにお元気だったのですが…。
夕方、生駒市の市長選挙にかかわった市民の方ら5人が事務所に来訪され、およそ4時間の懇談となりました。
2月21日(日)何となく、春に向かっていることを感じさせてくれるような陽気でした。
アンケートの回答を下さった方々にお礼のメッセージと仮集計を発送しました。宛名が不完全だったため間違って届いたものがあったようで、昨日、わざわざお電話をいただきました。朝のうちにお礼とお詫びに出かけ、ついでにいくつかの所用を済ませてから帰宅。このところ手入れの行き届いていない事務所まわりの花鉢を少し労り、午後からは、先日来分析中の資料のまとめ作業にかかりました。せっかくの陽光を思う存分浴びられなかったのは残念ですが、火曜日からは2月議会がスタートします。
2月22日(月)今日の午後、気温はさらに上がったようです。
市役所で市民相談。その後、先日来「疑問」を呈していた副市長人事に絡む退職手当条例の改正について、市当局から「提案内容を変更して議案を差し替えると」の説明を受けました。
2月23日(火)和歌山県みなべ町の農家から、毎年楽しみのハッサクが届きました。
午後1時から始まった本会議。例年だと、予算案上程で淡々と議事が進むですが、今日は、特別職の退職手当条例改正や副市長人事についての質疑などで長引きました。退職手当条例の改正議案では、議案差し替えの経緯などの説明を市当局が渋るので、「見える化にほど遠い議論だ」と指摘して反対。また、副市長人事については、当選以来「大阪府OB、民間出身、市政精通者でバランスをとりたい」と主張してきた市長に対して、「民間人」を「総務官僚」に置き換える結果は当初の企図と異なる…と質しました。しかし、市長の答弁ははぐらかしに終始。11月臨時会での不透明な人事手法の反省はできていないようです。「きちんと説明されれば2人とも同意しよう」と思って臨んだ議会だったのですが、市長の答弁で考えが変わり、総務省派遣局長の副市長選任への同意は「留保したい」と意見を表明しました。