《2004.5.22〜25》
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※5月21日以前の日記は、前ページに掲載
5月22日(土)冬から春まで花を咲かせてくれたビオラやシクラメンの鉢を整理しました。
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北朝鮮から、拉致被害者の家族5人が帰って来られました。日本中が固唾を飲んで見守ってきた曽我さんの家族を含む全員帰国はかなわなかったけれど、事態はひとつ動きました。テレビで記者会見を見ていて、拉致被害者の方のどなたが話される言葉にも感心させられてしまいます。論旨が乱れることなく、きちんと思いが伝わってくるあの語りは、厳しい人生経験のたまものなのでしょうか。きょう「帰国」されたお子さんたちには、もっともっと厳しい人生が、この日本で待ち受けているはずです。幸せを祈らずにはおられません。
5月23日(日)気温が上がり、花たちも少し多めの水を求めているようです。
いつも「活動報告」を配って下さっている泉北ニュータウンの方々を訪ねました。お忙しい日程を割き、またご体調がすぐれない日もおありなのに、お世話になっています。
ところで、訪問の合間に、栂文化会館で催されていた「泉北コーラス交歓会」にもお邪魔しました。23回目を迎えたこの交歓会には、18グループが参加されており、会場は満員で席を探すのに一苦労。聴かせていただいたのは、男声、混声それぞれ1グループだけでしたが、週1度か月2〜3度の練習でよくぞここまで…と思われる見事なハーモニーです。少しばかりの失敗など、楽しそうな皆さんの雰囲気に吹き飛ばされていました。
5月24日(月)先週とは打って変わり、安定した天気が望めそうな週明けです。
先週は、予定していた街頭活動が天候の具合などですべて延期となり、多分にフラストレーションが溜まっていました。きょうは、好天のなか、北花田駅前で気持ちのいいスタート。こちらの気分が乗っているときは、「活動報告書」のビラを受け取って下さる方も多いのです。
街頭活動を終え、10時からは議会運営委員会に出席しました。しかし、議長選出の話し合い調整が難航していて、すぐに休憩。再開した13時でもメドが立たず、明日13時の再開を決めて解散となりました。お陰で、午後からはまた泉北ニュータウンに活動報告書をお届けすることができました。(◆しばらく怠っていたホームページの更新。トップ・ページ「News」を書きかえました。)
5月25日(火)爽やかな、ほんとうに初夏らしい日が続いてうれしいです。
天候とは裏腹に、堺市議会の「議長選び」は大荒れです。どうやら、2つに割れている自民党両会派が互いに譲り合わず、調整が難航している様子。休憩を繰り返している議会運営委員会で、私は、規則どおり選挙によって選ぶこと、立候補制ではないが就任意思のある議員が全議員の前で表明演説することなどを提案しました。
朝は、光明池駅前での街頭活動を予定どおり実施。御池台のKさんが、ボランティアの仲間に加わって下さって、またさらに心強くなりました。
5月26日(水)清々しい毎日ですが、堺市議会の中はドロドロです。
泉ヶ丘駅前での街頭活動を急いで終え、9時半開会の議運へ。しかし、結束を誇った「与党」内の調整は不調。約束を違えて30分遅れで開会した本会議で、議長、副議長とも選挙による選出となりました。ふたつの自民党会派の間での争いは、片方に公明党が付き、他方に民主党系会派が付いて、前者の勝ち。私と田中丈悦議員は、議長に長谷川を、副議長に田中を投票して、泥まみれの争いには手を染めないという立場を貫きました。