《2004.11.5〜8》
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※11月4日以前の日記は、前ページに掲載
11月5日(金)アラファト議長昏睡。鈴木宗男・前代議士に懲役2年の実刑判決。
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平成15年度会計の決算審査特別委員会が、今日から始まりました。まず、委員長と副委員長の選任ですが、例年のような「話し合い調整」が成立しないまま、正副委員長ともに「選挙」となりました。いわゆる“与党間の結束”が乱れたわけですが、もっとも適任な人を選ぶのではなく、“与党(多数派)議員”のたらい回しによる人選をたしなめる動きとしては歓迎すべき現象です。ともあれ、半時間ほどかかった選出手続きを終えてから、毎年恒例となっている「市内視察」に出発。消防本部の「消防通信指令総合システム」、収集し尿の処理を担う「環境クリーンセンター・浄化ステーション」、北野田駅前地区の「市街地再開発事業」、市立錦綾小学校での「校庭芝生化」を、それぞれの現場で見てきました。
11月6日(土)紅葉も始まる季節。いつか秋を楽しんだ中越地方の災害に心が痛みます。
テレをいとわずに公開。60年前の七五三姿です。(写真上)
きょうは、まったくの親(爺)バカ日記。孫の一樹くんの七五三参りに付き合いました。晴れの衣装は、ちょうど60年前に私が着せられたもの。幼くして亡くなった私の兄、それに弟たちが着用し、28年前に息子が使った上、今年、娘の子である孫へと引き継がれました。
さすがに古くなった糸がほつれ、袴のひもの芯が出てきましたが、なんと昭和18年(1943)の新聞紙です。紙面には、朝鮮総督府の「朝鮮警察官採用」の広告も掲載されていて、先日の韓国旅行で見てきた侵略の歴史資料が思わぬところで発見されました。
11月7日(日)気温が下がって、遠くから「灯油販売」の車の声も聞こえます。
まる一日、パソコンの前で韓国旅行日記をまとめました。きっとまだ手直しが必要でしょうが、とりあえずアップロードも完了。10月24〜11月1日前半(205ページ下段→209ページ)をご覧下さい。
11月8日(月)昼間の気温は高くても、朝夕がめっきり冷え込むようになりました。
きょうの決算委員会は、議会費と総務費を審査。持ち時間が91分しかないので、もっぱら聞き役に徹しましたが、契約事務に関する発言が多かったような印象が残りました。つい最近、新潟市で官製談合事件が摘発されたこともあって、委員の関心が集まったものと思われます。全体を通して気になったのは「質問」と「答弁」が事前に調整されすぎていて、双方とも用意したペーパーを読み合い、最後は議員側が「要望しておきます」と締めくくるやりとりが増えたことです。質問者にとってもの答弁者にとっても「楽」な方法なんでしょうが、せっかくの議会議論に面白さがありません。
ところで新潟の中越地震は、きょうも震度5強の余震に見舞われました。東京に住んでいたはずの友人に連絡が取れないので、故郷の守門村(合併で魚沼市)の電話番号を探して出してかけてみると、当人が出てきたのでびっくり。昨年暮れ、東京から帰って暮らしているそうです。「信じられないほど大変」「いいかげんな行政に怒っている」という被災現地の声を聴くことができました。