※7月29日以前の日記は、前ページに掲載
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《2008.7.30〜8.1》
7月30日(水)全国的に大気の状態が不安定。暑さはほんの少し和らぎました。
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いつも駅前スピーチをする駅で、最後になったJR堺市駅前に立ちました。お馴染みの場所だけに、暖かいお言葉をたくさんいただき、配布ボランティアの皆さんも励まされたそうです。
さて、昨日の日記に書いた中国新聞(2008.7.29)朝刊は、「手製の夏服『国防色』に胸弾ませ」との見出しで、被爆した少女の日記(6月13日)を次のように紹介しています。
「今年は白色ではなくて國防色かねずみ色のやうなきれで制服をる作るやうになりました。それは何故かと申しますと敵機來襲の時白いものは目標になりやすいので」とつづり、帰宅後に母からもらったきれが「國防色でしたのでうれしくてたまりませんでした」と胸を弾ませている。
平和記念資料館の展示説明には、「女学生の夏服とシュミーズ」との表題と共に、「広島第一高等女学校1年生の大島靖子さん(当時13歳)は、建物疎開作業現場で被爆しました。己斐までのがれていたところを救援隊に発見され、大竹の両親のもとに運ばれましたが、その日の深夜死亡しました。この夏服は自分で縫ったものです」と書かれています。原爆に夢を断たれた大島さんは、「学校の先生になりたかった」そうです。ちなみに、現代美術館で被爆体験を聞かせて下さった平賀佐和子さんは、高校の物理教師をされていたとか…。
●平和記念公園にある「平和の鐘」を丸く囲む池で、ハスの花が美しく伸び立っていました。少女が蘇ったように…。
7月31日(木)早朝はやや涼しかったものの、またまた暑さのきつい日となりました。
駅前議会報告の打ち止めを、西区のJR津久野駅で行いました。さすがにもう、「どうして選挙区外で演説するの?」なんて質問をする人は居なくなり、「きのう堺市駅でもらいました」…など、私たちの活動の広がりを好意的に受け止めてくださっているように感じます。午後は、市民相談の方と共に大阪市内の弁護士事務所へ…。
8月1日(金)PL花火…大阪の夏の象徴行事です。
障害のある子を育てている親にとって、24時間子どもと向き合わなければいけない夏休みは大変です。のびのびルーム(学童保育)を利用不承認とされた保護者の方々からご相談を受け、東三国丘小学校で、昨夏から自主的な「サマースクール」が始まりました。「今年も、きょうからやります」とご連絡をいただいたので、見に行きました。昨年度の議会での議論などを受けて予算拡大が行われたため、多くの子のルーム利用が可能となっています。従って、自主スクールの利用は2人だけでしたが、週3回の午後、ここで過ごすという子どもたちは楽しげでした。
その後、市役所で市民相談。夜は、孫が訪ねて来てくれたので、PL花火を鑑賞しながら屋上ベランダでの食事にしました。