8月18日(火)総選挙公示日。金大中氏死去。私にとって大切な人も失いました。
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《2009.8.18〜20》
今朝、とてもつらい知らせが届きました。7年前、私が9年ぶりに地域活動を再開する
「決意」を表明して以来、ずっとその活動を支えて下さった笹岡保男さんが亡くなられた…と、奥様が悲しみをこらえて伝えてこられたのです。そして、「夫は、会社を退職した後の生き甲斐を長谷川さんとの活動に見つけ、ほんとうにいきいきと暮らしていました」とおっしゃるのです。駅前議会報告にはほとんど欠かさず参加していただき、また、「議員活動報告」を北区内の全地域に配りたいと、毎日のように自転車で出かけて下さいました。しばしば市議会を傍聴され、市民の思いとかけ離れた議員たちの言動に大きな怒りを抱いておられたようです。ガンとの闘いも「長谷川議員の活動を実らせるため」と主治医に語り、「いっしょにがんばろう」と励まされた…と、お見舞いの際におしゃっていました。
8月7日に病院を訪ねた折には、とても明るい表情で、「治療の効果が出ているので、10月の街頭活動から復帰したい」と喜ばせて下さったのに、それから10日目、病状が急変し、穏やかに息を引き取られたとのことです。かけがえのない同志を失いました。
8月19日(水)厳しい残暑の下で、お世話になった方を見送らせていただきました。
笹岡保男さんのご葬儀は、ご遺族の故人への思いが溢れる「家族葬」として行われましたが、ここ数年、ずっとお付き合いをしてきた事務所スタッフと共に、私も参列させていただきました。そして、葬儀を終えて式場から出た車を中百舌鳥町3丁交差点で見送りました。この交差点の東北角にある地下鉄・中百舌鳥駅@出入口は、議会報告を行うときの笹岡さんの定位置でした。「お願いします。長谷川です!」…。通行される方に活動報告を手渡す折、笹岡さんが心を込めて口にする言葉が聞こえてきそうです。そんな現場を通って、声の主は旅立たれました。また、車の進路の左先には南海・中百舌鳥駅があり、その駅前で4月10日に駅前議会報告を終え、さらに16日まで頑張って地域配布を完了してから、笹岡さんはやっと病院での受診に向かわれたのです。
入院からわずか3か月。まさに“壮烈”なご支援をいただいた笹岡さんとのお別れが、こんなに急にやってくるとは思ってもいませんでした。「覚悟はしていました」とおっしゃるご家族の悲しみを思うと、胸が詰まります。ほんとうにお世話になりました。
8月20日(木)沖縄でまた鉄砲水の犠牲者。仕事中の事故は防げないのでしょうか…
10時からの議会運営委員会を傍聴。その後、大綱質疑の質問項目に関して、市当局の説明や資料提供を求めました。通告期限を発言日の4日前にするなど、愚かな「議事運営改革」が認められたため、思いつく限りのテーマを予告しておいて絞り込むしかありません。
ところで、17日の日記に書いた私の発言日は誤りだったので、訂正しました。まったくの勘違いでしたが、正しくは8月25日(火)で、2人の発言者が終わった後の3番目ですから午後になるものと思われます。