9月15日(火)昨日のニュースの主役だったイチロー選手。きょうも余韻が残ります。
※9月14日以前の日記は、前ページに掲載
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《2009.9.15〜17》
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ご相談ごとの処理もあったので、4日ぶりに市役所へ。登庁ランプが点いている議員は私を含めて10人でした。各党各陣営とも、市長選に全力投球…なんでしょう。ところで、昨日から作業中の自治体議員勉強会の案内は、きょう発送を完了。案内文には、4月の青森市長選で、私が感服した鹿内博候補のまちかど演説の一節も掲載しました。
▼「鹿内が市長になったら、電気が止まる」と宣伝をしている人がいるらしい。皆さん信じますか。私は、電力会社の従業員の安全と命を守るために発言し、行動してきました。従業員の命を守ることは、その家族の暮らしと幸せも守ることになります。電力会社から感謝してもらってもいいのです。私は、県民だれもの命と安全を守るために原発や核燃の危険性を訴え、対策を求めてきたのです。
鹿内さんが「核燃料廃棄物搬入阻止実行委員会」の共同代表だったことをとらえての悪宣伝。鹿内候補の柔らかな反論が青森市民の心に響きました。自民、公明、連合あおもりが支援する現職候補に圧勝した鹿内さんが市長に就任して5か月。堺市長選でも、市民に直接届く、候補者の真摯な訴えを聞くことができるでしょうか。例えばLRT問題で…。
9月16日(水)事務所の壁を覆うフウセンカズラに、足を止めて下さる方があります。
まさに歴史的な日です。韓国・全北大学校の鄭在吉教授が、私の「市政と政治家がこんなに変わる」を読んで訪ねて来て下さった折、「長谷川さん、政権交代のない日本って、ほんとうに民主主義の国ですか?」と質問され、戸惑ったことがあります。鄭先生に今度会ったら、「やっと、民主主義国になりましたね」と言われるかもしれません。
もっとも、私個人にとっては、「衆議院議長=横路孝弘、参議院議長=江田五月」という構成に、何とも感慨深いものを覚えます。私とも同世代になる両氏は、共に東大法学部在学中の1965年に司法試験合格。横路さんは弁護士(1969年に代議士)、江田さんは裁判官の道を歩みました。また、両氏の父は、横路節雄、江田三郎という「日本社会党」の論客であり、リーダーでした。先日、江田さんからもらったメールの一節に「親子で半世紀の悲願の政権交代選挙」という文字があったのですが、いみじくも、そんな二人が揃って両院議長です。
きょうの市役所も、登庁議員はまばらでした。「今夜、堺東に来る。明日は中百舌鳥駅前だそうだ」…。連日力を入れる知事の動静に、緊張感を募らせている陣営があるようです。
9月17日(木)今朝のハイビスカスは、昨日の花が咲き残ってにぎやかでした。
深夜の新閣僚記者会見。睡魔と闘いきれず全部を見ていないのですが、やはり自民党時代とは違うようです。少なくとも絆創膏姿や深酒泥酔で立場を危うくしそうな人は居ないのでしょう。派閥力学、当選回数、“仲良し”を基準に登用され、就任後は官僚任せという自民党政治を脱却したことを、各大臣のこれからの仕事で示してほしいと思いつつ眠りました。
そしてきょうは、議会開会中にたまっていた仕事に一段落をつけ、「議員活動報告」の作成に取りかかりました。市長選挙のために控えている街頭での議会報告は、10月1日から始める予定です。ところで、タウン誌「ザ・淀川」の編集長・南野佳代子さんの訃報が朝刊各紙に掲載され、驚いています。南野さんが1981年に同誌を創刊されたころ、私は1970年に創刊した地域紙「こんにちは!」の仲間に推されて市議となって2年目でした。時折、情報交換をさせていただき、昨年は何度かお目にかかる機会もあったのに、ご急逝は信じられません。謹んで哀悼の意を表します。