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ところで、議員研修会に私を招いてくださった市議会では、「政治倫理条例」の制定に向けて議論が始まっているそうです。講演準備のため、30年前の条例制定運動のことを書いた自著「市政と政治家がこんなに変わる」(1990年・学陽書房刊)を読み返しています。当初、全会派が反対していた政治倫理条例の制定に至るドラマに、我ながら胸が躍ります。汚職事件で有罪が確定した議員への辞職勧告決議を否決した議会への怒りに基づいた、堺市民のものすごいエネルギーを結集した運動でした。
●条例制定運動のヤマ場だった1982年12月
市民が直接請求によって提案した条例案を審議する市議会で、最後まで抵抗を試みた反対議員たちがめざしていたのは、議員任期満了(翌年4月)に伴う「審議未了廃案」でした。この策謀を見抜いた市民運動側は、12月4日に市民会館で「政治倫理確立シンポジウム」を開催。折から、ロッキード事件と田中角栄の追及に取り組んでいる各政党の国会議員らに出席を要請しました。出席者は、土井たか子(社会党)、正森成二(共産党)、横山ノック(二院クラブ)のほか、新自由クラブの府連幹事。欠席だった公明党からもメッセージが届き、条例可決に向けての大きな流れができました。なお、このシンポジウムのコーディネーターは、篠原一東大教授にお願いしました。

12月4日(火)朝方まで雨。気温も11℃の寒さのなか、衆議院選挙が公示されました。

関東地方のある市議会から講演の依頼がありました。少し先のことですが、その準備を開始。事務所のパソコンに向かっていると、聞き覚えのある某党候補者の声が選挙カーから流れてきたので、表に出て行って激励。午後、西区の病院に入院中のSさんを見舞った際、今度はまた別の党の選挙カーとすれ違い、窓から大きく手を振って助手席の候補者に声をかけました。今回の選挙には3人の元・堺市議が立候補していますが、最初から計算づくでこの日に臨んだのはきっと1人だけ。残り2人は、それぞれの党事情からの「やむなし出馬」ではないか…と勝手に想像しています。午後遅く登庁して、健康部や北保健センターからヒアリング。

12月6日(木)朝は11℃。その後どんどん下がって、夕方には6℃。もう真冬です。

朝、緊急のご相談があったので電話で対応してから登庁。今日は、産業環境委員会や市民人権委員会の議論を議員控室のモニターで聞きながら、いろんな仕事をこなすつもりでした。しかし、昼前に子ども青少年局の職員がやってきて中断。また午後は、健康福祉局のドクターや保健師との打ち合わせで、結局何も進まず、委員会の議論もほとんど聞くことができませんでした。とは言え、両局職員との意見交換では、これまで知らなかった情報に触れることにもなり、10日(月)の健康福祉委員会での議論に向けて、たいへん勉強になりました。当日の私の発言は午後1時〜の予定です。なお、3日大綱質疑の中継録画がアップロードされました。

12月5日(水)今日の気温は6℃〜9℃。冷たい風も吹いて、一段と寒くなりました。

昨日の日記について、「堺市議だった候補者はもう一人いる」とのご指摘を受けました。確かにそうです。同時期に市議会で活動したことがないため、迂闊にも失念していました。

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《2012.12.4〜6》
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