最終本会議の討論の冒頭で、私は永藤市長に「折角、旅費条例の改正を提案されたのに、不合理な議会の事情で議決できなかった」と詫びました。予期しない発言だったのでしょう。当の市長は当惑顔でした。
●「本音」見える、大阪維新の会の長谷川批判
なお、私の後で一番最後に登壇した維新議員は、総務財政委員会での討論に引き続いて、「長谷川議員の勝手な行動」と名指しで批判。今日は、「議運委員長に従え」とまで言い出しました。その議運委員長こそ、ずっと「4月1日施行」に固執し、総財委で「継続審査」の動議を出した張本人です。
私は、維新創始者の橋下徹さんが知事や大阪市長の時代に行った旅費改革を堺でも実現すべきだと考え、3年前から宴会経費を含む実費以外の旅費の受け取りを拒否し、改革を提案してきました。彼らは、これを「勝手な行動」と批判するのです。
もしかしたら、私の提案に耳を貸さず、他の議員と一緒に「公費宴会」を謳歌してきた維新議員たちにとって、永藤市長の旅費条例改正の提案は、少しでも先送りしたい「迷惑な」ものだったのかもしれません。
●本当は「勝手な行動」を繰り返す、長谷川俊英の改革手法
もっとも、維新議員の批判で気づかされたのですが、初当選以来の私の議員活動は、どっぷり議員特権に浸っている議員からすれば、しばしば「勝手な行動」であったに違いありません。
▼初当選から3年目、汚職で有罪判決を受けても議会に居座る議員に市民が怒りました。議会は辞職勧告決議を否決。私は市民の皆さんと共に「政治倫理条例」の直接請求に取り組み、最初は賛成者一人(私)だけだった議会を変え、日本初の条例が誕生しました。
▼また、議員報酬の任期中お手盛りアップに反対。増額分の受け取りを拒否。衆院選出馬のために議員を辞めた折、供託されていた受取拒否分に供託利子を合わせ、約285万円を堺市の金庫に戻しました。このこともあって、堺市議の報酬は1973年以来据え置きです。
▼いったん旧職場に戻り、カムバックを果たした2003年には、「出席費用弁償」を受取拒否。たった数分の会議でも1日1万円の「日当」が支給される制度を改めました。
なお、3年前から行っている出張旅費の受取拒否を含め、これまでに私が受領しなかった公費の総額は「約1,345万円」になります。
今日の討論では、維新の会からの批判を逆手にとって、これらの事例を披露。「勝手な行動」こそ、市民の理解や応援を得たことを示しました。「議会の常識は、世間の非常識」。「身を切る改革」を標榜する維新議員たちも、結局、旧来の議員と変わることはないのです。
※続きは、また明日の日記で・・・。(右上=今日、納品された「議員活動報告・新春号」)