朝、とても悲しい知らせが入りました。私の議員活動をずっと支え続けて下さった齋藤忍さんが、昨日午後に逝去されたとのこと。ご遺族からの電話を受け、しばらく言葉を失いました。
上の写真は、2019年、2015年、2011年の各選挙時のもの。日頃からずっと長谷川事務所の仕事を取り仕切ってくれていた「しのぶちゃん」は、選挙の際もボランティアの皆さんに細やかな心遣いで接し、誰もが楽しく参加できる私たちの選挙運動の要でした。ただ、2018年ごろから体調を崩し、2019年の選挙では新たに大役を引き受けてくれることになったOさん夫妻にバトンタッチ。自身は、体調の様子をみながら応援に駆けつけてくれました。
もしかしたら、「もう、シュンエイの面倒はみなくてよい」と安堵したのかもしれません。一月ほど前に肺炎を併発して入院。コロナ禍の面会制限のため、それ以後は一度電話で話したきりになっていました。「葬儀などはしない」との強い遺志を重んじるご遺族にお願いし、対面してのお別れをさせていただきました。安らかな寝顔を前に、長年の尽力に感謝するばかりです。
齋藤忍さんへの追悼のことばが寄せられています。「アクション日記を読んで、驚きました。齋藤忍さんのご冥福をお祈りします」(北区・Tさん)。「あたたかさで
みちあふれた しのぶさん/しのぶさんが そこに いるだけで/こはるびよりに なりました/しのぶさん/わたしのような ものまで /あたたかく うけいれてくださり/ほんとうに
ありがとうございました/これからは いちばんちかいところで/はせがわさまの かぞくを /しのぶさんの いつもの えがおで/みまもっていて ください/合掌」(南区・Yさん)。「ご逝去なさった、と/在りし日の笑顔が目に浮かびます/ご自分のお考えをしっかりともたれて/多くの長谷川市議ファンに接しておられました/心よりお悔やみ申し上げます/さいとうしのぶさんへ/ありがとうございました」(さかい市民)
齋藤忍さんの逝去を悼んで何人もの方々からメールや電話を寄せられ、「淋しくてしかたがないから」と事務所を訪ねてこられた方もありました。忍さんの人々との結びつきの強さと、それを通して私への支援を広めてくれていたことを、改めて確認できました。
なお、ご遺族(2人の子とそれぞれの配偶者、お孫さんたち)が揃って挨拶に来られました。こちらは面食らうほど明るい様子です。親族だけには許された病院での面会を通じて、忍さんの人生の最終幕をずっといっしょに過ごしたため、お別れする心の準備が十分に整っていたそうです。齋藤さんにとっては、思い残すことのない幸せな旅立ちだったのかもしれません。