10月3日(金)広島では、被爆後、世界中から贈られたという街路樹が見事です。
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《2003.10.3〜6》
朝、再び平和公園を歩き、中央通路をまっすぐに原爆慰霊碑に向かいました。ここを訪れるのは10数年ぶりのことで、昨日の原爆資料館の展示は新しくなっていました。「安らかに眠って下さい 過ちは 繰り返しませぬから」…。碑に刻まれた文字をあらためて読み、深い黙祷を捧げながら、先の本会議で紹介した野中広務さんの手記を思い起こしました。
(イラクへの自衛隊派遣は)「わが国が、初めて不戦の誓いを破ることになる」。「戦争の記憶を風化させたら、日本は大変な道に行きそうな気がするのです。これはとても怖いことです」。「選挙民から国政を負託された国会議員に、その覚悟があまりにも足りない」…。
昨日からの視察旅行中、同行している議員の何人かから、本会議で「イラクへの自衛隊派兵反対意見書」に賛成しなかった“言い訳”も聞きました。市会議員とは言え、やっぱり「政治を負託された者」としての自覚に欠けている…というのが、率直な実感です。
ホテルに戻って地元紙の朝刊に目を通すと、「海田町合併 霧の中」の見出しで、同町議会が広島市との合併関連3議案を否決したことを大きく報じています。広島市役所で調査事項の説明に当たって下さった担当職員の方も、やや困惑気味にその事実を話されました。きのうの岡山市と言い、きょうの広島市と言い、合併問題はそれほどに多くの困難を抱えているのです。美原町住民の意思を多分に軽んじて進めている堺市の合併でも、大きな教訓とすべきでしょう。
10月4日(土)いつの間にか、わが家のドウダンツツジが赤い色素を蓄え始めています。
午前中、剣道クラブ創立26周年記念の部内大会。午後いちばんに、お招きを受けていた幼稚園の運動会を見学させてもらいました。いずれの催しでも、保護者の中に「おじいちゃん」「おばあちゃん」として参加されている顔見知りの方々があって、歳月の流れを感じます。その後、共同通信社の鎌田司記者(編集委員・論説委員)と山下純司記者(写真企画部)が事務所に来訪。3時間余り、「こんにち話」というタイトル記事の取材を受けました。10月19日以降の地方新聞に掲載される予定とか…。かつて堺支局に赴任されていた鎌田さんには、さらにそれから3時間ほどの懇談で、いろいろと教えていただきました。
10月5日(日) 前家主が残して下さったキンモクセイ、遠慮がちに花を匂わせています。
欧州合宿の予備知識のために聴いてみようと思っていた講演会は、予約手続きをしそびれていたこともあってとりやめ。インターネットでの情報収集や、季節変化に備えての自宅の整理など、気になりながら後回しにしていたことを片づけました。
10月6日(月) 団地のケヤキ並木にも色づきが見られます。秋は足早ですね。
予報に反して、雨の一日。目覚めたとき降り始めに気づいたのですが、「きっと上がる」と信じて、街頭活動予定の北花田駅へ。しかし、ほんの少し「ニュース・レター」を配り始めたものの、止む気配を感じられず、今日の街頭活動は「中止」としました。事務所に戻って、会計処理などの打ち合わせ。午後は、市内で農業などを営む方々との懇談の機会を得ました。