《2003.4.7〜11》
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※4月6日以前の日記は、前ページに掲載
4月7日(月) 今日も、快晴の下で、満開の桜が映えています。
「アクション日記」のはじまりへ
小学校の入学式に出席後、事務所に戻って打ち合わせ。来客が相次いだため、心はせきましたが、新金岡団地まわりは午後遅めの出発です。昨日同様、半数は府営住宅だったのに、今日は比較的お元気な方々と出会いました。出発の遅れを埋め合わせようと、皆さんに励まされて昨日より30分ほど遅くまでがんばりましたが、結局まったく同じ、3時間で80軒でした。
4月8日(火) 朝から雨。せっかくの桜が早くも散ってしまいました。
「午前中は雨」の天気予報に覚悟を決めて、事務所会議と来客応接をこなしました。結局、上がるのは夕方になったのですが、それから新金岡団地まわりに…。激励を下さる会話があちこちで長引き、今日は、2時間で50軒ほどしか訪問できませんでした。
4月9日(水) 桜は散り、ケヤキの若葉が団地の緑道を覆い始めています。
午前中に2時間、午後3時間、ひたすら新金岡団地を歩きました。途中、小雨がパラついて駆けたせいもあってか、5時間で140軒と、ほんの少しピッチが上がったようです。そして、「待ってましたよ」「それがうれしい」など、12年ぶりの訪問にもかかわらず暖かいお声をいただいて、元気になりました。夕方はいつもよりも少し早く区切りがついたので、以前から気になったいた草部や八田方面を訪問。留守中の事務所には、85歳になられた浜寺諏訪森町のKさんからの電話や、高校同級生のNさんからカンパ振込用紙の送付依頼などがあったそうです。いつまでもご心配いただいてすみません。
4月10日(木) 団地の階段を何度も上がり下りすると、汗ばむ陽気になりました。
今日は、午前中の2時間に40軒、午後4時間で100軒。昨日より1時間長く歩いたのに、回れた軒数は同じでした。理由のひとつは、昨日に比べてご支持下さる方の密度が薄い地域だったこと。もうひとつは、留守宅が多くてメモを書き残すのに時間を要したことです。この団地でしのぎを削るA党、B党のポスターを掲げる家の数から察すると、2つの府営住宅の片方でA党が強く、片方でB党強いように思われる“新発見”をしました。いずれにせよ、両党からのしつこい勧誘や選挙時の近所づきあいのしにくさにへきへきしながら、「陰ながら応援さしてもらいます…」との言葉をかけて下さいました。とはいえ、「おとうさんが○年前に亡くなり、子どもも出て行ったから1票しかありません」との声をもあちこちで伺いました。厳しい選挙です。
ところで、イラク戦争はどうやら終結の方向に向かっているようですが、独裁政権を倒すのに、ほんとうにこのような方法しかなかったのでしょうか。アメリカ兵の戦死者遺族らの悲しみが伝えられていますが、これからイラク側の人々の死や被害の実態が明らかになると、また新たな悲惨さを感じさせられることでしょう。戦争で失われたものの大きさを直視しなければなりません。
4月11日(金) 満開のツバキが落ち、早くもドウダンツツジが花をつけ始めています。
「午後から雨」の予報だったので、少し早めに行動開始。しかし、1時間あまり歩いたところで降り始めました。やむなく事務所で打ち合わせ後、陶器地区や野尻町など、これまで回りにくかった地域を訪ねました。
さて、このところ「毎日外食」という我が家の食生活を見かねた妻の親友Iさんと、今日は半休した常勤スタッフのUさんから、夕食おかずの差し入れが届きました。ご心配をおかけして、すみません。これからご馳走になります。