「アクション日記」のはじまりへ
6月21日(土) すっかり晴れて、蒸し暑い日です。
※6月20日以前の日記は、前ページに掲載
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《2003.6.21〜24》
朝早く大阪南港のトラックターミナルに行き、和歌山県南部川村の山本農園から届いた青梅を受け取りました。1972年以来、31年間続いてきた「南高梅」の販売で、大半の方は午前中に事務所へ取りに来ていただきました。しかし、毎年ご利用いただきながら徐々に体力が衰えられた方もあって、今年はご自宅まで配達もさせてもらいました。
午後は、学校の危機管理点検の結果説明のために市教委の担当職員が来訪。休日返上でのお仕事、ご苦労様です。
6月22日(日) すこし雨もぱらつきました。夏風邪が抜けない不愉快な日がつづきます。
弁護士・真砂泰三さんのご葬儀にお参りさせてもらいました。前勤務先である桃山学院の中・高同窓会役員をされ、また、衆議院大阪第16区(堺市北部)の候補者として、しばしばお目にかかった方で、気さくな笑顔の持ち主でした。私が次点だった1993年総選挙の次に、初めて小選挙区制となった1996年選挙に出馬され、自民党公認で41,787票の次点。それ以後地をはうように準備されたのに、2000年選挙では自公選挙区調整のとばっちりを受けて無所属で立候補。それでも、51,055票と票を伸ばして次点でした。ある人から依頼を受け、いちど「弁護士」としてご紹介したほかには特段のお付き合いもなく、また政治的立場も異なることを承知の上で、ことあるごとに丁重なご挨拶を賜りました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
6月23日(月) 早朝からポツポツ落ち始めた雨も、午前中は持ちこたえてくれました。
順延を重ねていた北花田駅前での街頭活動をやっと終え、ほっとしました。天候が不安だったのに、朝早くから参加して下さったボランティアは6人。ほんとうに頭が下がります。事務所に戻ってひと休みした後、午後から市役所で、明日の本会議での一般質問について、担当者などと折衝しました。
また、夜には、韓国の全北大学校法科大学の鄭存吉(チョン・ジョキル)教授から数年ぶりの電話をいただきました。鄭先生は、地方自治法や地方議会の研究家。日本留学中に、私の著書『市政と政治家がこんなに変わる』(1990年・学陽書房刊)を読んで、「ぜひ会いたい」と訪ねて来て下さった方です。現在また一橋大学で研究中だそうで、近く久しぶりの再会を約しました。
6月24日(火) 雨の一日。南部川村の梅さえ、今年は多雨を悩んでいるそうです。
今議会の最終本会議。1993年6月23日以来、実に10年と1日ぶりに演壇に上がりました。今日の登壇は2回で、冒頭にまず、私を再び議会に送って下さった8,183人の市民の皆さんへのお礼を述べました。そして、諸議案採決前の「討論」として、私たちが提案した「会議出席費用弁償の廃止」について、これに反対する“与党”各派の見解を批判し、その論拠を突き崩しました。ただ、議会用語の「討論」は意見を述べるだけの儀式で、相手側からの再反論は何も行われないまま、廃止提案は、自民、公明、民主系、自由系会派によって否決されました。
2度目の登壇は、「一般質問」です。文教委員会で追及した学校の危機管理について、各学校園の点検結果の報告を求め、その問題点を指摘した上、あらためて教育長の改善決意をききました。また、市民環境産業委員会で問題にした住基コードの通知をめぐる視覚障害者への配慮の欠落については、市長が「遺憾」の意を表明。さらに、健康福祉局長から、全部局への働きかけを強化する旨の答弁も得ました。そして、財政危機に対する市当局や他自治体議会の取り組み状況を明らかにして、堺市議会の対応の遅れを指摘。議員の皆さんに、「これから、日本一の堺市議会をつくろうではないか」と呼びかけて締めくくりました。