《2002.9.18〜21》
(9)
9月18日(水) マイカーのエアコンを切って風を入れました。やっと秋の気配。
情報公開制度について何かと教えてもらった奥津茂樹さんが、今朝の朝日新聞「私の視点」に、住基ネットの選択制は自己情報をコントロールする権利の保障だと書いています。20年前、政治倫理条例を議論していた堺市議会の議員研修会で、当時奈良女子大教授だった平松毅先生が「プライバシーの概念は往々にして誤解されている。(それは)人間が社会と連帯するために自己の情報をコントロールする権利」だと力説されたことも思い出しました。そして、この選択制を取り入れた横浜市では、すでに13万人あまりの市民たちが、住基ネットへの参加拒否を表明しているとの情報も入りました。このほか、熊取町のKさんからは、住民票コード通知票を返還する際に添付された「理由書」も送っていただきました。多くの人たちが、あらためて「国民背番号制」について考えています。奥津さんやKさんの文書は、ご当人のご了解が得られたら、「堺市民への緊急アピール」のページに掲載する予定です。
9月19日(木) さわやかな季節が見え始めました。明日は“宵待ちの月”。
朝いちばんの作業で、昨夜のうちに奥津茂樹さんが送って下さっていた朝日新聞掲載の文章をアップし、併せてトップページを少し手直ししました。
その後、11月に勤務先大学で開かれる「日本自治学会」の第2回総会・研究会で、「議会改革」について話す資料などを確認するため堺市役所へ。議会事務局長のデスクのパソコンでホームページを開いたら、偶然にもアクセスカウンターが「1000」を表示しました。「何か記念品を差し上げないと…」と冗談を交わしながら、合併や政令指定都市化をめぐる議論の状況なども確かめました。市役所横の道路で目のご不自由なNさんと久々に再会。「いまも相談に乗ってもらえますか?」と聞かれ、地域活動の再開を喜んでもらいました。また、この日の委員会を傍聴に来ていたKさん(学童保育でがんばっています)とも市役所の玄関でばったり。小泉訪朝での経済援助について質問があったので推論を話しました。いつもながらとてもまじめな議論をふっかけてくる人です。
9月20日(金) 悲しいできごとに、“宵待ちの月”もかすんで見えました。
最初に当選した市議選の際、泊まり込みで選挙運動に参加して下さった菊池正清さんが亡くなりました。享年50歳。突然、「手伝います」と言ってやってきてくれたのは27歳のときでした。肺ガンで入院しているとのお知らせがあって、一昨日の夜に病床を見舞った折りは、ベッドに座って久しぶりに政治の話などを交わしました。「面会時間終了」の院内アナウンスに急き立てられ、「また来るよ」とお別れした数時間後、容態が急変したとのこと。誠実で正義感の強い人で、最近はずっと反原発運動に打ち込んでいました。運動仲間のみなさんに見守られての臨終だったそうですが、とても悲しい活動家の死に直面し、今日も心の重い一日でした。
9月21日(土) 夜半までかすんでいた中秋の名月も、真夜中に輝きました。
ご近所の友人たちと、我が家の屋上で月見の宴を開きました。家族の近況から、住基ネットや拉致問題などにも及ぶ話題で、夜を徹しての議論は何年ぶりのことだったでしょうか。終わったのは27時。息子たちがセットしてくれた望遠鏡での月面観測も感動的でした。