《2004.8.14〜17》
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※8月13日以前の日記は、前ページに掲載
8月14日(土)この夏の酷使に耐えかねてか、居間のエアコンがとうとうダウンしました。
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都市政治研究所の「ニュー・スレター」編集にかかりました。先日の志賀町長選挙で、産廃計画反対などを基本政策に掲げて挑みながら惜敗した有田一彦さんからも、原稿が届いています。その結び一節。「健闘した、よくやったと慰めて下さる方も多いのですが、やはり負けは負け。政策などを住民に浸透させることができなかった私の力不足は否めません。来年の今頃は志賀町という名前さえ消えているかもしれませんが、諦めたらオシマイです。理不尽な滋賀県の広域ごみ政策を何とか止めたいと運動の再構築を図っているところです」。
8月15日(日)朝から久しぶりの雨。気温も下がって、過ごしいやすい日曜日です。
1945年8月15日の正午から、天皇が国民に敗戦を知らせるラジオ放送がありました。きょうは、59回目の終戦記念日。空襲や疎開、食糧難を体験し、クラスメートの何人かは父親を戦地で失っているという世代として、戦争を知らない“若者”たちに、わずかな体験でも伝える責任を感じています。あまりにも軽々しい議論を、議会でも若い議員たちがし始めています。ちなみに、「掲示板」に南森和夫さんが終戦記念日のメッセージを入れて下さいました。
昨日に続いて、「都政研ニュース・レター」の編集。午後には、志賀町長選に貸し出したマイクやスピーカーなどを携えてFさんが来訪され、しばらく懇談しました。
8月16日(月)気温が落ち着いたせいか、花々がまた元気に咲き始めています。
先週末に宿題を預けていた下水道部や土木部から報告を受けました。なにやらさらに疑問が深まって、再調査を要求。午後は、新市建設計画の財源や合併特例債に関する説明を聞くため、堺市の合併・指定都市推進部にやって来た美原町住民の皆さんとお付き合い。折から来訪中の美原町職員にも事情を確かめると、やっぱり話に食い違いが出てきました。
8月17日(火)本格的な雨。夜には雷鳴がとどろき、激しく降りました。
朝からほぼ一日かけて、ホームページのリニューアルに挑戦。なんとかやり遂げました。ずっと気になっていたトップページや都市政治研究所のページを更新し、議場改装費の節減に関する朝日新聞の記事にリンク。自治体議員勉強会・志木合宿については、田中良太さん(四街道市議・元毎日新聞記者)のレポート「地域からの発信」を転載。遅くなりましたが「議員活動報告bX」もアップロードしました。また、きょうの事務所には、ボランテイアの皆さんが4人来て下さって、2人のスタッフとともに「議員活動報告」の発送作業に取り組んでいただきました。ここ2〜3日のうちにお送りできると思いますが、送付をご希望の方はご連絡下さい。
夕方になってから市役所に出かけ、資産報告書について倫理調査会から出されていた質問に関する文書を、同調査会の事務を預かる総務課に託しました。汚職市議の居座りを認めようとした市議会に対して、市民が直接請求で「政治倫理条例」の制定を求めたのは、1982年の夏。炎天下のあの署名集めを思い出しています。市長の反対意見に抗して、翌1983年2月、堺市議会はこの条例を可決しました。日本で初めての「資産公開制度」ができてから、21年。閣僚や国会議員の資産公開につながり、全国各地の自治体が堺市に学んでさらに優れた条例をつくっています。“ものの始まりなんでも堺”(新堺音頭)…「元祖」「本家」の条例運営は模範的なものになっているでしょうか。