1月15日(土)雪にはならなかったものの、一日中、冷たい雨が降りました。
《2005.1.15〜18》
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ヨーロッパ高齢者組織オランダ・プラットフォーム(NPOE)から情報提供の依頼があって、堺市の福祉施策担当者にまとめていただいた文書の翻訳にあたって、「少し簡略化してほしい」と言われていたのですが、やっと手を着けることができました。依頼者はもとより、忙しい職務を抱えながら執筆していただいた職員の方には、遅くなってしまって申し訳ありません。
夜は、地元自治会の定例会に出席しました。幹事の仕事もあと3月。1年間やってみると、地元の事情や人的関係もなんとか見えてきます。
1月16日(日)妻が知人から頂いたヒマラヤユキノシタが、2年目の花を開き始めました。
新金岡団地のなかで、「議員活動報告」をいつも配布して下さっている方の転居などのため、穴が空いた所に配達に行きました。この団地の各戸ポストに初めて印刷物をお届けしたのは、1970年8月のこと。仲間たちと発刊に漕ぎ着けた団地新聞「こんにちは!」の第1号を配りました。その年に生まれた娘や2年後に生まれた息子が歩き始めると、よちよち歩きで手伝ってくれたりして、9年続けたこの新聞の発行責任者は、議員になったときにバトンタッチ。残念ながら、その後何年かして休刊になっています。
今日お配りした2丁3番・6番、4丁5番・6番にも、取材でお訪ねしたお宅や、いまも議員活動を支援して下さっている方々がたくさんいらっしゃるのですが、皆さんそれぞれに年齢を重ねられ、なかにはお亡くなりになった方もあります。あれこれ思い返しながら、なんとなく目が潤むようなセンチメンタルな思いにとらわれた日でした。
1月17日(月)阪神淡路大震災10年目の朝は、冷たい雨で明けました。
今朝は、新金岡駅AB出入り口で街頭活動をする予定だったのですが、雨のため中止。事務所の作業をこなし、午後はスポーツ振興審議会に出席。
夜は、ザ・シンフォニーホールで京都大学交響楽団の定期演奏を聴きました。先日の立命館大学交響楽団の第九演奏会に味を占めての学生演奏の鑑賞です。阪神大震災の犠牲者を悼んで、プログラムにはなかった「G線上のアリア」で開演。メインの曲目はラフマニノフの「交響曲第3番」でしたが、こちらもなかなかのものでした。
1月18日(火)少し気温が和らいで、昼間はコートなしで戸外に出ました。
20日に開会する臨時会のための議会運営委員会が開かれました。型どおりの議事進行日程を確認した後、今度は「非公式議運」を開催して、美原町との合併後の会派別議席割りについて協議。議運委員長が何度も走り回って調整した結果なので、全会派がすんなりOKです。私たちの「堺・美原市民ネット」は最左翼の最前列に4人が並ぶことになりました。なお、9月議会の総務委員会で注文を付けた議場改装費は、最近の新聞でもまた報道されているように、当初予算の4分の1で納まりました。ちなみに、わが会派4議席のうち2議席は仮設のものとなります。