※3月15日以前の日記は、前ページに掲載
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《2005.3.16〜18》
3月16日(水)どうやらインフルエンザに罹ったようで、今朝からからだの節々が痛みます。
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午前中は病院に行って、診察と薬の処方をしてもらいました。マスクも支給されたので、なるべく大勢の人と接触しないように、議員控え室で予算委員会を傍聴。
きょうは教育費の審査だったのですが、これまでの低調さとうって変わって、終了時刻は午後7時5分です。とりわけ、旧美原町議員による学校給食についての発言が印象的でした。まず、池田範行議員(自民党市民クラブ)が、「堺市との合併を巡っては住民投票や町長解職、議会解散を求める住民運動が起きて、町を二分した。そんな状況のなか、私たちは合併を選択した。私たちを支えたのが、いま『給食がおいしくない』という表現をしている保護者の皆さんだ。合併に対するイメージにかかわる問題だが、想定もしていなかった」と発言。
また、井上サエ子議員(美原会)が、「大綱質疑で長谷川議員に取り上げてもらって感謝している」と断った上で、次のように話を続けました。「私は、PTA役員として、美原町に学校給食を実現するため、昭和40年から7年かけて運動をした。実現した後も、献立や食材の決定にPTAや現場教師がかかわり、調理に当たる地元の人たちも一所懸命に働いた。あちこちから視察があり『美原町の給食はおいしい』とおほめをいただいた。『合併してから給食がまずくなった』との声が寄せられ、先日、試食に行ったが、手作りケーキなどのデザートが少なくなり、子どもたちの楽しみがなくなっている。堺市は、過去の過ち(O157事件)にこだわって、常識を失っていないか。これまでのおいしい給食を、堺の子どもたちにも食べさせてあげたい」
聞いていて、思わずメモをとるほどの熱弁でした。住民の皆さんの率直な意見を聞き入れて、こんな議論がきちんと行われていたら、合併への意思決定過程はもっと豊かになっていたでしょう。私の大綱質疑での指摘も、多くの旧美原町住民の皆さんからの情報や思いに基づくものでした。(※上記両議員の発言要旨は、長谷川のメモによるもので、会議録どおりではありません。)
3月17日(木)朝から一日中、雨。からだのだるさも手伝ってうっとうしい日です。
予算委員会の昼休みに開かれた議会運営委員会。マスク姿で出席して「インフルエンザだ」と言うと、さすがにみんなに煙たがられました。もちろんそのせいではないのですが、22日本会議の議事運営などを協議する会議は10分ほどで終了。(私たちが主張した「出席費用弁償の廃止」が通るまでは、これでも1人1万円の“出席日当”が付いたのです。)審議日が明日までと大詰めにきた予算委員会の傍聴も午前中だけにして、ひたすら静養に努めています。
3月18日(金)早朝に強い雨と風。回復したと思っていたら、午後、寒い風が吹きました。
病院で処方してもらった抗インフルエンザウイルス剤「タミフル」が効いたようで、昨夜のうちに症状は治まり、お招きいただいていた近くの小学校の卒業式に出席することもできました。この学校では、卒業証書を受け取る前に、61人の卒業生1人ずつが漢字1文字(中には2文字)を書いた色紙を掲げて「夢」を語ります。いちばん多かった字は「笑」で、「笑顔」を加えれば7人でした。その次が「友」ですが、こちらも「仲間」や「絆」を加えれば7人。「救」の字を掲げて、「消防士になりたい」「看護士になりたい」と言った子もいました。
午後からは、最終日の予算委員会を傍聴。政令指定都市をひたすら目指す来年度予算案に注文を付けたのは、私たちの「堺・美原市民ネット」と共産党だけでした。残りの会派は、すべてが一本にまとまって賛成討論。昨年の予算委員会では独自見解を述べた会派も、今年は様変わりです。議員たちがそれぞれの立場で行政をチッェクし、発言しないようになったら、議会の機能は死滅します。そんな人たちには「怠」の字を送りましょうか…。