3月19日(土)穏やかな日。沈丁花が香り、ビオラやシクラメンの開花も旺盛です。
《2005.3.19〜22》
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※3月18日以前の日記は、前ページに掲載
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薬が効いたようでも、油断はできません。きょうは少々頭が重く、すっきりしかかっていた鼻や喉にもまた不快感が増しています。外出を控えて、事務所で仕事しました。しかし、そのことが何となく伝わるのか、来客も相次ぎました。朝から、美原町住民グループの方々が4人。午前中、まとめて頼んでいた事務用品の配達があり、午後には、街頭活動用のワイヤレスメガホンが届きました。また、久しくご無沙汰していた新金岡町のYさんがふらりと立ち寄られ、青年海外協力隊を激励するためにモンゴルを旅されたことなど、会社ご退職後の活動状況について懇談。皆さんの活発な動きに、あらためて感服しています。
3月20日(日)福岡や佐賀で大きな地震。被災体験が少ない分、不安も大きいでしょう。
連休を幸いに、きょうも事務所で過ごし、遍路日記を書き始めました。来客もなく、午後遅く理容店に…。外出ついでに、近くのショッピング・センターやホーム・センターに立ち寄って買い物や用足しをするなど、完全な「休日モード」で過ごしました。
今朝メールを開くと、「ビックリ…私は大丈夫です!(^^)!」と題する“安否報告”が、福岡県・大野城市議の清水純子さんから届いていました。臨場感溢れる現地からの便りを、ご本人の了解が得られたので公開します。
ホームページを見ていただいている方々、そして、メール交換している皆さま、大変ご心配おかけ致しました(*^_^*) 皆様のところは大丈夫でしたか? ビックリ、あたふた。ガタガタ揺れるのを眺めながら、私は歯磨きをしていました。片手に歯ブラシ、そして、もう一方の手は入口ドアのノブをしっかり握りました。だって、入口をふさがれたら出られないので、ドアを開けたままにしよう…と、とっさにからだが動いたのです。▼様子を窺っていたら揺れが少しおとなしくなり、ラジオと懐中電灯が一緒になっているのを取り出して、携帯電話を片手にウロウロ…。電話のベルにあわてて受話器をとりました。なんだ電話が通じる。かけてきた相手に「大丈夫?」と、お互いの無事を確認し合いました。そうだ!一人暮らしの大先輩は? ダイヤルしたけど、話中音と、「ただいま電話がかかりにくくなっています」のアナウンスばかり。携帯電話もつながらなくなりました。1時間余りして、ようやく無事な声を聞き、ひと安心(~o~) 東京や千葉、遠方の友人たちに「大丈夫よ!」と電話をかけまくったのですが、まったく通じなくて困りました。▼実は、福岡は地震がないので安心していました。それでも、大野城市では最近、高層ビルがにょきにょき建ち進んでおり、防災対策や安全対策について、議会でも質問をしてきたたところです。幸い今回は、水道管が破れる被害だけですみました。しかし、余震が続いているから油断はできません。「大正14年以来の震度」とのこと。ほんとうに怖かったです。まさに地球が怒っています。でも、「備えあれば憂いなし」ですね。
妻の実家が、清水さんと同じ大野城市にあるため、私のところにもお見舞い電話を下さった方があります。ご心配いただいて、すみません。お陰様で、身内はもとより、友人・知人にも人的な被害はなかったようです。ただ、食器棚の扉が開いて落ちた食器が破損するなど、みな一様に「恐ろしかった」と言っています。清水さんの言葉どおり、日ごろの備えを考えなければ…。  
3月21日(月)「暑さ寒さも彼岸まで」…。春分の日の翌日は、ほんとに暖かくなりました。
3月22日(火)一日、雨が降り続きました。地震の被災地には酷な雨です。
2月議会は3月末までの長い会期なので、予算委員会での審査が終わって常任委員会が始まる前に、追加提案の本会議を開きます。きょう提案されたのは、包括外部監査契約の締結に関する議案の訂正や、各種会計の補正予算案8件と企業立地促進条例案など。先に提案済みの議案と合わせて、23日の市民厚生委員会と産業環境委員会、24日の建設委員会と文教委員会、25日の総務委員会のいずれかに付託して審議が行われます。
本会議が終わってから、私が所属する総務委員会での議論に備えて各部署との協議や調査を行い、また市教委事務局などからの報告を受けました。