1月26日(木)沖縄はきょうも曇り。小雨もぱらつく寒い日です。
※1月25日以前の日記は、前ページに掲載
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《2006.1.26〜27》
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朝8時半に宿舎を出発。宜野湾市基地政策部・山内繁雄次長らの案内で、普天間基地を一望できる嘉数高台に昇ってから、米軍ヘリの墜落現場を訪問。
その後、沿道に連なる各基地や関連施設を見ながら、「移設候補地」とされている名護市辺野古へ。漁港の前に小屋を設けて反対運動をしている方々と交流。用意していただいた漁船で、候補地も見ました。
きょうの現地視察には、沖縄大学助教授でジュゴンネットワーク沖縄の事務局長でもある土田武信さん、元・那覇市企画部長の真栄里泰山さん、宜野湾市議の桃原功さんが同行して、案内と解説をして下さいました。皆さん、昨日からのご参加です。なお、記念写真の中央で椅子に座っているのは「ヘリポート建設阻止命を守る会」代表世話人の金城祐治さん。
1月27日(金)沖縄本島は昼前から雲が晴れ、やっと青い空がのぞきました。
自治体議員勉強会「沖縄合宿」の最終日は、南部戦跡の見学です。今回の合宿計画について企画や準備に奔走し、3日間の全日程にも付き合って下さった真栄里泰山さん(写真)に、きょうはガイド役も引き受けていただきました。
南風原陸軍病院壕、糸数アプチラガマ、沖縄県平和祈念資料館、ひめゆり平和祈念資料館などを巡って、20万人の戦死者を出したという戦闘現場に立ち、その痛ましい歴史を学んだのです。
昨日からの2日間、豊富な歴史知識と平和への思い、行政マンとして培った情報収集力に基づく説明の途切れることがなかった真栄里さんでしたが、沖縄の人々の遺骨を集めて作り上げたという「魂魄の碑」の前でお参りされた後、言葉を詰まらせ、涙ぐんでおられました。
真栄里さんに初めてお目にかかったのは、20年以上前のことだったと思います。先進的な情報公開制度を実現していた那覇市を訪ね、その仕掛け人の真栄里さんと出会いました。その後、政治倫理条例を制定させた堺市民の動きを伝える立場になった私は、情報公開シンポジウムなどで真栄里さんと同席する機会もありました。昨年、12年ぶりに訪ねた那覇市役所で真栄里さんの消息を確かめたら、帰阪後にお便りをいただき、お言葉に甘えて合宿企画へのご助力をいただくことにもなったのです。
まったくの余談ですが、沖縄から戻ってから、もっとご縁が深いことが分かりました。留守中、母のことを頼んでいた弟に連絡をとったところ、なんと、弟の妻が真栄里さんの同級生だったと言うのです。真栄里さんにお礼の電話を差し上げた際に伝えると、ほんとうに驚かれました。実家が近所で、小学校、中学校、高校と同級。活動仲間だったそうで、叔母夫婦の養子になったため姓が異なる私の実弟とも、「沖縄で会ったことがある」とのことでした。