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《2008.9.20》
9月20日(土)一昨日の決算委分科会での質問がニュースに ▼朝日新聞(2008.9.20)
今朝の朝日新聞に、決算委員会総務財政分科会で議論した未収債権のうち、第二室戸台風のときの「災害復興生業資金貸付」のことが報道されています。その分科会で私が指摘したのは、まず、貸付後47年も経過してほぼ回収見込みのないものが「堺市の債権」として残っている異常さです。加えて、貸付元の大阪府が2004年に「事務の終了」を宣言しており、さらに2006年の外部監査報告で「
不納欠損処分にするように」と勧告されながら、何もせずに放置しているのは職務怠慢ではないかということです。
その質疑の際、「債権は大阪府にあるのか堺市にあるのか」などの問題で府の解釈が変遷していることもあって、堺市の対処に戸惑いが見られました。他の議員から別の視点に基づく指摘もあったため、昨日、市当局が大阪府に出向いて再確認したようです。その結果、「府の債権とした上で、その消滅により事務を終了したことを2004年12月24日に各市町長宛に通知した」ということが確認されました。昨夜遅く、健康福祉局長や総務局長をはじめ関係職員が事務所を訪ねて来て下さったのは、その報告と分科会での答弁の混乱を詫びるためです。
●1961年(昭和36年)とはどんな年だったのか…
第二室戸台風が近畿圏を襲った1961年。私は大学2回生でした。ケネディが43歳でアメリカ大統領に就任、有人宇宙飛行士第1号のガガーリンは「地球は青かった」と言い、柏鳳が揃って横綱昇進、「こんにちは赤ちゃん」や「上を向いて歩こう」が流行りました。ゴールデンバット(たばこ)30円、はがき5円、国鉄初乗り10円、大卒初任給1万4817円…。分科会の開催日、ちょうど台風第13号の接近に備えて緊張を募らせていた堺市の危機管理室長は、当時5歳。浜寺にある自宅の畑で風車の羽を下ろすのを手伝ったそうです。また、現在この債権を所管する役回りになっている健康福祉局の高齢福祉課長もやはり5歳で、自宅近くのタマネギ小屋の強風被害に脅えたとか。取材を受けた記者さんから、「季節ものです。きっと読者は当時を思い出しながら読んでくれるでしょう」…と聞いて、“なるほど”と感心しました。
●「なんねっと祭2008」のこと
きょうの午後、
堺市難病支援ネットワーク協議会が主催する「なんねっと祭」が催されるというので、会場の福祉会館に足を運びました。この協議会(略称:なんねっと)は、堺市の委託事業として、パーキンソン病・クローン病・潰瘍性大腸炎・膠原病・後縦靱帯骨化症・脊髄小脳変性症,大動脈炎症候群・特発性間質性肺炎・網膜色素変性症・サルコイドーシス・小児心臓病などの難病患者さん向けの講演会、交流会を企画しています。今回の催しをご案内下さったのは新金岡町にお住まいのKさんで、団地の創生期に「こどもぶんこ」の世話をされていた方です。その後、網膜色素変性症のため失明されましたが、持ち前の明るさでこの協議会の理事やコーラス・グループ「ラ・ラ・ラ」のリーダー役を務めておられます。
祭りは、「さやま落語会」による落語、そして、「ラ・ラ・ラ」を指導する声楽家・石川昭子さん(ご当人も網膜色素変性症患者)の独唱とメンバーによる合唱という2部構成。会場全体での合唱もある楽しい集いでした。(写真提供=なんねっと事務局)