5月15日(木) 日曜日に買ったランタナやチェリーキャンドルの苗をやっと植えました。
《2003.5.15〜17》
(65)
※5月14日以前の日記は、前ページに掲載
「アクション日記」のはじまりへ
堺市議会の会派構成が決まりました。公明党(13人)、フェニックス(10人=民主党5人、旧民社、旧新進などの連立会派)、共産党(9人)、自民党・市民クラブ(7人)、自民党(5人)、プロジェクト堺(3人=自由党系)、あたらしい風(3人=無所属)、無会派(田中・長谷川)。
かつて私の市議在任中は1人でも会派形成ができたのに、いつのまにか「会派は2人以上」、しかも議運に参加できる「交渉会派は3人以上」と、少数派締め出しが進んでいます。今年3月には、その傾向が一段と厳しくなったとか…。いったい何を意図したのでしょうか。
ともあれ、2人会派と無会派から議会運営委員会に1議席を持てるので、その1議席を私が担うことになりました。なお、正式な議運委員は本会議で選任することになっていて、それまでは「議運予定者会」。今日は、その第1回目で、正副議長と正副議運委員長の選任をめぐる攻防が始まりました。
ところで、政務調査費交付の必要上、無会派にも会派名を付けることになっていて、私は、共同会派の名称として考えていた「市民リーグ・激辛さかい」という会派にしました。実は、このネーミングは田中丈悦議員との合作だったのですが、田中さんは「スタンス明確市民派」を名乗るので、了解を得て私が使います。市議会内に、この2つの会派名を掲げた控室もできました。堺市役所にお越しの際は、どうかお立ち寄り下さい。                            
5月16日(金) 天気が回復に向かう大阪から、雨模様で気温も下がった東京へ…
昨日の日記でお知らせした「会派名」。もともと複数構成に基づいて考えた「市民リーグ・激辛さかい」は、私一人だといささかしっくりこないのでしょうか。「やっぱり“昔の名前で出て”ほしい…」というご意見もあって、一夜にして「非所属クラブ」と改名です。
さて、今日は「議運予定者会」の開催がなくなったので、急遽東京に向かいました。まず、日本婦人有権者同盟を訪ねて、市川房枝さんの最後の秘書だった近藤千浪さんなど懐かしい皆さんにご挨拶。その後、互いに議員になる前からの旧友・菅直人さんに会うため、初めて民主党本部に足を運びました。近藤さんから託された「有事法制への苦言」を伝えたり、地方分権政策などをめぐって、代表室で小一時間歓談。このところテレビで厳しい表情しか見ていなかった菅さんも、久しぶりに対面してみると昔どおりの明るい表情で、ホッとしました。
また、宿泊先のホテルには、旧知の記者、MさんとKさんが訪ねて来て下さって、もう20年にもなる堺支局赴任当時のことなどを語りあいました。そしてさらに、東京都議の田中良さん(都議会民主党幹事長)と会食。田中さんも、明治大学雄弁部の学生だった20年前、政治倫理条例制定運動に興味をもって堺にやって来た人で、それ以来の付き合いです。
たくさんの方々にお目にかかりましたが、皆さんが私の政治活動再開を喜んで下さって、こちらもうれしくなりました。
5月17日(土) 東京は、今日も時折小雨がぱらついて、安定しない一日でした。
朝から夕方まで、今回上京の主目的だった「情報公開クリアリングハウス」の講座をじっくりと受講。ここでも、東京や埼玉、神奈川などの議員の皆さんと久しぶりに会い、現場復帰を祝福されました。帰りの新幹線で、昨日、菅直人さんから贈られた著書『改革政権準備完了』を一気に読みましたが、官僚政治を覆す気概に溢れ、またその道筋を示す明快な本です。堺市議会の民主党議員の皆さんにもぜひ読んでもらいたい一冊(失礼…すでに読んでいらっしゃるか?)で、党首の意気込みが、同党地方議員の改革意欲を大いにかき立ててくれることを期待します。この人たちが市民にどのような政治姿勢を見せるのか…。その結果が、“民主党政権”誕生への国民の期待と失望を分かつような気がしてなりません。